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第1―2話

それからの高野は正に地獄の時間だった。 吉野達とは席が離れているし、高野が吉野に気付かれる可能性は低いと思う。 しかし高野が吉野に気付いたように、吉野が高野に気付くことは有り得るのだ。 高野はハードカバーの本で不自然にならない程度に顔を隠しながら、吉野達の様子を見ていた。 吉野達には相変わらず笑いが絶えない。 そして高野が吉野に気付いてから30分経過して、地獄の時間は終わりを告げた。 二人は立ち上がり会計に向かう。 そうして二人が支払いを終えて高野がホッと一息を吐いた時、高野はまた二人に釘付けになった。 吉野と一緒にいた男が吉野に赤いコートを着せてやったのだ。 それだけでも驚きだが、その仕草の優雅なこと!! 一分の隙も無く、流れるように自然にコートを着せている。 カフェの客がウットリとため息を吐く。 そして吉野と美貌の男はカフェを出て行ったのだった。 「高野さん、何かあったー? 遅かったじゃん」 エメラルド編集部に戻った高野に、木佐が呑気に声を掛けてくる。 高野は「まあな」と曖昧に答えると、編集長席に座る。 デスクの上に置かれた書類を見て目を見張る。 まず木佐の書類。 今朝頼んだ新連載の企画書と、まだ先でも充分間に合う赤の入った原稿が置かれてある。 そして小野寺も、一週間後に提出でいい新刊の企画書と、高野が外出前に頼んでおいた雑務が、完璧に済まされて置かれている。 張り切ってんなー…。 高野が感心して書類に目を通していると、小野寺が高野のデスクにやってきた。 「高野さん、今日はそれ以外の急ぎの仕事ってありますか? 木佐さんも」 「いや、ねーけど」 高野が答えた途端、小野寺がニコニコと笑う。 「じゃあ、俺と木佐さんは定時で上がらせてもらいますから!」 小野寺はそう宣言すると、さっさっと自分のデスクに戻って行った。 高野が誰ともなしに「ま、いーけど」と言うと、羽鳥が高野に向かって微笑んで言った。 「木佐も小野寺も必死に頑張ってましたよ。 二人で食事にでも行くんじゃないですか」 「そ、そうだな…」 ギクシャクと羽鳥から視線を外す高野を、羽鳥が不思議そうに見て、また自分の仕事に戻る。 どうしよう…羽鳥に吉野さんのことを言った方がいいのか? そう言えば、羽鳥が担当作家との打ち合わせの後、会議があるからって、今日は珍しく吉野さんが丸川まで付録カットを持って来てくれたんだよな… 「羽鳥、ちょっといいか?」 「はい」 羽鳥が立ち上がり高野のデスクの前に立つ。 「今日、吉野さんが付録カットを持って来てくれただろ? その時、おかしな様子は無かったか?」 「…おかしな様子ですか? 至って普通でしたが」 「じゃあその後の予定とか言って無かったか?」 「ああ…画材屋に行くとか言ってましたけど。 それが何か?」 「……いや、何でも無い。 ちょっと気になって」 羽鳥がにっこり笑う。 「付録カットに問題はありませんから、安心して下さい」 「そっか…。仕事の邪魔して悪かったな。 戻ってくれ」 「はい」 羽鳥が自分のデスクに戻り、仕事を再開する。 羽鳥の端正な横顔を見ながら、高野は思う。 こいつ本当に男前だよなー。 ドラマ化なんかで俳優を見慣れている絵梨佳さまが夢中になるくらいだもんなー。 だけど、今日吉野さんと一緒にいた男は羽鳥とは次元が違う。 丸川には何故かイケメンが揃っていると有名だ。 桐嶋さん、伊集院先生、そしてこのエメ編などなど。 俺も自惚れじゃなく、自分のルックスの程度くらい分かる。 だけどいくら美形だ男前だイケメンだと騒がれても、あの吉野さんと一緒にいた男は、俺達とは違う次元の美貌だ。 そしてスマートで洗練された、一分の隙も無い優雅な動作。 一流芸能人のトップクラスと言われても頷くしかない。 高野はパソコンで、吉野の前回ドラマ化されたキャストを確認してみたが、あの男はいなかった。 それに本当にあれだけのルックスを持つ芸能人だったら、高野だって当然知っているだろう。 うーん…と高野が頭を抱えていると終業時刻のチャイムがなり、木佐と小野寺が「お先に失礼しまーす!」と連れ立ってエメ編を出て行った。 エレベーターで木佐と二人きりになると、小野寺が頬を赤くして嬉しそうに言った。 「計画通りいきましたね!」 木佐もニコッと笑う。 「まーね。 でもいつもこんな風に上手く行くとは限らないから、行ける時は行っとかないと!」 「そうですよね…! 突発の仕事が入って、行けなくなるかもしれないし!」 小野寺が胸の前で両手をガシッと握る。 「あ、そーだ。 吉野さんからLINEきてたよね? 俺まだ見てないんだ」 「吉野さんは無事に京極さんと合流してて、今は京極さんのマンションにいるそうです。 夕食は各自済ませてから来て下さいって」 小野寺が、小野寺・木佐・吉野・柳瀬で作ったグループトークを見て答える。 「で、京極さんは吉野さんとお食事か~。 京極さん、本当に吉野さんのこと気に入ってるよねー」 「でもそのお陰で俺達も仲間になれたんですから! 吉野さんに感謝しなきゃですよ!」 「だね! 今日は何するんだろ? うー楽しみ~!」 エレベーターが一階に到着する。 木佐と小野寺は丸川書店を出ると、北風が吹きすさぶ中、うきうきと最寄り駅に向かうのだった。

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