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第1―8話

「小野寺…? どうしてここに?」 不思議そうな羽鳥に、小野寺は何度も頭を下げる。 「すみません、すみません、すみません!」 「いや、謝らなくてもいいが…。 悪いが人と待ち合わせをしてるんだ」 「知ってます! アシスタントの柳瀬さんですよね! 俺、柳瀬さんの代理で来たんです」 羽鳥の眉間に皺が寄る。 「とりあえず座れ」 「は、はい」 小野寺が席に着くとウエイトレスがやって来て注文を取った。 怖い程の沈黙。 それを離れた席から見守る、木佐と柳瀬。 「小野寺さん、大丈夫か?」 柳瀬が顔をしかめて言う。 「たぶん律っちゃんなら大丈夫! 羽鳥は律っちゃんみたいなぽや~とした世間知らずには酷い態度は取らないと思う!」 「まあ、千秋とタイプが似てるしな」 小野寺は計らずしも羽鳥と柳瀬の電話を聞いてしまって、慌てて木佐・小野寺・吉野・柳瀬のLINEのグループにトークした。 小野寺は羽鳥の話したことしか聞こえなかったが、険悪なことぐらい分かる。 そこで柳瀬が羽鳥と話したことをトークして、木佐と小野寺と、特に吉野はパニックになった。 柳瀬は木佐達とやっていることを羽鳥には絶対話さないと言っているが、柳瀬と羽鳥が二人で話しをして穏便に済む訳が無い。 話さない柳瀬に意地になって、羽鳥が行動を起こさないとも限らない。 羽鳥がどんなに調べても何も収穫が無いのは分かっている。 だが、そうなると柳瀬に電話で言った通り、最終的に羽鳥は吉野に向かうだろう。 京極のマンションで四人で集まった時、吉野は涙目で「トリを誤魔化すなんて出来ないよ~」と四人に泣きついた。 「大丈夫だ、千秋。心配するな! 俺が口で羽鳥に負けたことがあったか? 今回もぎゃふんと言わせてやるよ!」 柳瀬は鼻息荒くアーモンド型の猫目を爛々と吊り上げている。 木佐が慌てて柳瀬を宥める。 「柳瀬くん、ぎゃふんと言わせちゃ駄目なんだってば!! ここは上手く切り抜けないと」 すると、それまで黙って四人の話しを聞いていた京極が話し出した。 「柳瀬さんの代理を立てて説明した方が良いですね。 そうだなあ、この中では千秋ちゃんの代理なら小野寺さんが適任だと思います。 それから、相手を煙に巻く時は少し真実を混ぜるのがコツです。 皆さんはバレンタインデーに向けて習い事をしているが、バレンタインデーまでには知られたく無いと言えば、大抵の男は納得します。 それとその羽鳥という人は丸川書店の社員なんでしょう。 井坂さんの名前を出すのも有効かと」 「……京極さん!」 吉野が感動して立ち上がる。 京極がそっと吉野の細い肩を抱く。 「これくらいのこと、千秋ちゃんの為なら何でもありません。 吉川千春先生…僕のミューズ。 勿論、千秋ちゃんが、吉川千春先生本人なんだ。 何より大切な存在なんです」 京極は吉野の瞳に浮かんだ涙をスッと拭うと、いやらしさを全く感じさせること無く、吉野をぎゅっと抱きしめた。 小野寺がオーダーしたカフェオレが運ばれて来ると、おもむろに羽鳥が口を開いた。 「柳瀬の代理ってどういうことだ?」 「あ、あの柳瀬さんは急にヘルプに入ることになりまして」 「そうか。 それでなぜ小野寺が柳瀬の代理で来たんだ?」 「あ、あの…さ、最初から話すと長くなるのですが…」 「最初から最後まで全部話せ」 「はいっ!」 小野寺の話はこうだった。 木佐は去年バレンタインデーに、雪名から手作りのチョコレートを貰った。 ラッピングまで手作りの。 そこで木佐は、今年のバレンタインは自分が去年雪名にプレゼントされた以上の物をプレゼントしようと考えた。 そこである教室に通うことにした。 その話をバレンタインネタで詰まっていた担当作家に話した。 するとそこにアシスタントに来ていた柳瀬が興味を示した。 木佐は柳瀬に教室のことを詳しく話してやった。 すると今度は柳瀬が、やはり羽鳥へのバレンタインのことで悩んでいた吉野に話してやった。 吉野はその教室に行きたいと言ったが、人見知りの吉野は一人では心細いという。 そこで柳瀬が付き合ってやることにした。 木佐は一緒に教室に通う仲間が出来て喜んで、休憩中に小野寺にその話をした。 小野寺もバレンタインのことで悩んでいたので、自分も教室に通いたいと言った。 勿論、木佐は小野寺とも一緒に通うことにした。 その教室の先生が『京極遼一』なのだ。 小野寺の話を羽鳥は眉間に皺を寄せて、物凄く不機嫌な顔で黙って聞いている。 小野寺は冷や汗をダラダラ垂らしながら、何とか笑顔を作る。 「だから俺達四人で教室に通ってるんです!」 「……何の教室だ?」 地を這うような羽鳥の声。 「え…えっと…それは言えません…」 「何でだ?」 「吉野さんの希望です」 「吉野の?」 羽鳥が益々凶悪な顔になる。 「よ、吉野さん、去年羽鳥さんにチョコレートを手作りしましたよねっ!? でも味は兎も角、見た目が酷かったって、残念がってて。 それに理由は教えてもらえませんでしたけど、羽鳥さんを怒らせちゃったって反省してて。 今年は羽鳥さんに喜んで貰いたい、サプライズしたいって張り切ってるんです! だから教室で何を習ってるのかは言えませんっ!」 小野寺は一気に捲し立てると、ゼーハーと荒く息をしてぬるくなったカフェオレをゴクゴクと飲んだ。 一息ついて羽鳥を見ると、羽鳥は固まっている。 さっきまでの凶悪な表情はどこにも無い。 切れ長の目を潤ませて感動している。 「吉野が俺の為に…」 吉野の仕事の忙しさを充分理解している羽鳥の感動はひとしおだ。 よし!ここだ! 小野寺は駄目押しを決行する。 「それに京極さんのことは安心して下さい。 井坂さんの親戚ですから!」 「そうか…」 羽鳥があからさまにホッとした顔をする。 そして、にっこり笑った。 「小野寺も忙しいのに、今日は柳瀬の代理なんかをさせて済まなかったな。 この礼は必ずさせてもらう」 「いえいえお礼なんて! それより吉野さんには知らないフリを通してあげて下さい」 「分かってる」 千秋… 何てお前はかわいいんだ… 俺に喜んで貰いたい? サプライズしたい? お前さえ居てくれれば、それが俺の喜びなのに… 羽鳥が普段のポーカーフェイスはどこへやら、デレデレとカップに口を付ける。 それを見て、木佐がニヤリと笑う。 「上手くいったみたいだね」 柳瀬は憮然としている。 「あー気持ち悪い顔しやがって。 あのムッツリスケベが」 「やっぱり羽鳥ってムッツリスケベなの?」 「ムッツリどころか…」 「あれー?木佐さんじゃないっすか!」 そこに予期せぬ人物。 今度は木佐が秘密にしたい相手。 キラキラ王子、雪名が現れたのだった。

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