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第1―15話
木佐が雪名に『今日これから会えるんだけど、そっちの予定はどう?』とメールすると、雪名から速攻電話が掛かってきた。
雪名も大学の関係でバイトを休んでいて、今自宅にいると言う。
雪名に夕飯作って待ってますと言われて、木佐はうきうきと雪名のコーポに向かった。
雪名の作ってくれた親子丼とポテトサラダとワカメスープは、心身共に疲れている木佐の全身に染み渡る。
二人で他愛のないお喋りに花を咲かせ、食後は木佐が使った食器を洗う。
その間に雪名がコーヒーをドリップしてくれる。
はああ…幸せ…
木佐が食器洗いを終えて、幸せを噛み締めながらカフェオレを飲んでいると、雪名が言った。
「木佐さん、話があるなら聞きますよ」
ゲホゲホゲホッ。
木佐がむせ返る。
「な…何で分かった…?」
「木佐さんを見てれば分かります。だって…」
雪名がキラキラモード全開で、木佐の細い肩を両手で掴む。
「木佐さんが大好きから」
ズッキューン。
木佐は顔を真っ赤にすると、またゲホゲホとむせてしまうのだった。
「俺、あんま愚痴ったりするの、好きじゃねーんだけどさ…」
木佐は膝を抱えてポツリポツリと話し出した。
先日、吉野の筋肉痛が酷くて、吉野がバレンタインの教室を休むと言い出し、だったらと吉野の家で教室を開くことになり、筋肉痛で身体が動かない吉野の為に京極と柳瀬がオイルマッサージをしてやったこと。
そしてそこになぜか羽鳥と高野がやって来たこと。
そして今日、羽鳥に下った社長命令。
「もうさ~同僚の修羅場とか地獄だぜ、地獄!」
木佐は唇を尖らせてカフェオレを飲む。
雪名はにっこり笑って言った。
「吉野さんと柳瀬さんと木佐さんと小野寺さんが必死に押さえていた地獄の釜の蓋が開いちゃったんですね」
「雪名…?」
「偶然、木佐さんと柳瀬さんにカフェで会った時、木佐さんがバレンタインデーの為に教室に通ってるって話してくれたでしょう?」
「あ、うん」
「俺、木佐さん達はバレンタインデーの為に何かを習っているのは本当だけど、それ以外は嘘なんだなって直ぐに分かりました」
「ええーーー!?」
木佐が思わず腰を浮かす。
「な、何でだよっ!
お前だって喜んでたじゃん!」
「そりゃあ嬉しいですよ。
木佐さん超忙しいのに、俺の為に頑張ってバレンタインデーの習い事してくれてるんですから。
でもそれ以外は嘘だなって」
「……何で分かった?」
雪名はカフェオレを一口飲むと、微笑んで話し出す。
「まず木佐さんがバレンタインデーの為の教室に通うことになった。
そして木佐さんから柳瀬さん、吉野さん、小野寺さんにその話が伝わり四人で教室に通うことになった。
ここでもうおかしいなって思いました」
「な、何で…?」
「木佐さんの口からは教室の規模の話は全く出なかった。
まるで四人しか生徒はいなくて、四人の為の教室だって口ぶりだったからです。
そんな教室をまず木佐さん一人が探し当てるのっておかしくないっすか?
それに木佐さんが『偶然』柳瀬さんがアシスタントをしてる所で教室のことを話さなかったら、木佐さんは京極さんの教室にマンツーマン通うつもりだったんですか?」
「………」
木佐は青ざめ、自然と正座をして雪名に向き合って俯いている。
「それに今聞いた、吉野さんの家で開かれたバレンタインの教室の話で確信しました」
「何で…?」
木佐の声は蚊の鳴くように小さい。
「だって集まってるのは、木佐さん達四人しかいないじゃないっすか!」
「そ、それは…京極さんが千秋ちゃんを特別に大切にしてて…千秋ちゃんは人見知りで京極さんと二人きりとか無理だし…」
ごにょごにょ言っている木佐を雪名が抱き寄せる。
「木佐さん、もうここまでこじれたら、本当の事を言った方がいいです。
俺みたいな若造が直ぐに気付いたんだから、羽鳥さんみたいな優秀な大人の人が気付かない訳がありません」
「でっでも、羽鳥だって律っちゃんの説明に納得して超喜んでたんだぜ!?」
雪名が木佐のおでこに自分のおでこをそっと重ねる。
「それは羽鳥さんが、俺が木佐さんを大好きなように、吉野さんが大好きだからです」
雪名がやさしく目を細める。
「羽鳥さんは吉野さんが自分の為にバレンタインデーの教室に通ってくれたことが嬉しかったんです。
嘘をつかれたことより、何よりも。
だけど」
雪名は一転、厳しい目をして言った。
「京極さんという人は悪気が無くても羽鳥さんを傷つけてます。
でもそれは、京極さんが木佐さん達以外に秘密にしていることを教えてあげるだけでも、羽鳥さんを救えると思います」
「救うって…大袈裟だろ…」
雪名がゴチンと木佐に頭突きする。
「イッテェー!!何すんだよ、雪名!」
「羽鳥さんがどんなに吉野さんが好きか、木佐さんなら分かるでしょう!?
エメラルド編集部が丸川書店のお荷物だった頃からの付き合いで、羽鳥さんが何よりも、それこそ自分よりも吉野さんを大事にしてる、吉野さんに馬鹿みたいにベタ惚れだってしょっちゅう言ってるじゃないっすか!
もし吉野さんが木佐さんで、俺が羽鳥さんなら、今日の社長命令なんかが下りたらブチ切れますよ!」
「雪名…」
「木佐さん。木佐さんの知ってることだけでいいですから、羽鳥さんに教えてあげて下さい」
木佐はニッと笑うと、雪名の頭を両手で押さえて、ゴチンと頭突きした。
雪名が声も無く床に転がる。
「ばーか。俺に勝とうなんて百年早いんだよ!」
木佐がバッグからスマホを取り出す。
雪名は涙目で、それでも笑って言った。
「木佐さんが石頭って知れて嬉しいっす」
木佐がフフンと笑ってスマホをタップする。
「あれ?」
「どうかしましたか?」
雪名が起き上がって木佐の隣りに座る。
「電源が入ってない…」
木佐達編集者はいつ担当作家から連絡が入るか分からないので、スマホやケータイの電源を切ることは殆ど無い。
「電源落としてヤケ酒でも飲んでんのかな…」
木佐はそう言いながらも、それからも何度も羽鳥に電話を掛けた。
だが、その夜羽鳥のスマホが繋がることは無かった。
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