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第1―18話
ソファに三人が座ると横澤がまず口を開いた。
「羽鳥、何かあったんだろ?
俺と桐嶋さんで良ければ相談に乗るから話してみろよ」
羽鳥は首を横に振った。
「もう、いいんです」
「羽鳥…」
「良くある話です。
恋人に俺以上に相応しい人が現れた。
二人は上手くいきそうです。
そして俺は、恋人の一番役に立たなければならないことも、任されないんです」
「羽鳥」
桐嶋が羽鳥を見据える。
「その恋人はお前のものだろう?
その相手にハッキリ伝えて、きちんと話し合ったらどうだ?」
「違います」
「何が?」
「恋人は俺のものじゃありません。
俺が恋人のものなんです。
俺が恋人のものなんだから…俺をどう扱うかも恋人の自由なんです。
俺から離れて、もっと相応しい人と結ばれるのも…」
「羽鳥…」
「でも俺は恋人に関しては臆病者で。
頭では分かっていたつもりなのに、現実を突き付けられたら、怖くて酒に逃げてしまいました。
お二人にはご迷惑をおかけして、本当にすみません。
それと助けて頂き、ありがとうございました」
羽鳥が桐嶋と横澤に深々と頭を下げた。
桐嶋と横澤はもう何も言わなかった。
羽鳥は暴行されてボロボロになったコートとスーツを持ち帰り捨てた。
桐嶋に借りた洋服はクリーニングに出して、お礼の品とともに返した。
お礼の品は日和が喜びそうなお菓子の詰め合わせにした。
横澤にもお礼をしようとしたが、断られた。
「ひよと一緒に食うからいいよ」と。
そして吉野にはなるべく会わないようにしていたが、どうしても会わなければならない時は眼帯をして青タンを誤魔化した。
吉野は羽鳥の「ものもらいになったから」という嘘の理由をそのまま信じた。
木佐も羽鳥が怪我をして来て休憩室で話した日から、京極の教室のことは何も言わなくなった。
そうして吉野が取材に行く日がやってきた。
吉野はスマホのアラームで朝7時に起きると、驚いた。
羽鳥がキッチンにいたのだ。
「トリ…どしたの?」
羽鳥は振り向くと、にっこり笑った。
「お前、何も食べないで車に乗ると必ず酔うだろ?
朝飯作ってやったから食ってけ」
「トリ…」
「ほら、ぼやぼやするな。
8時に迎えが来るんだろう?
早く顔洗って歯を磨いてこい」
「うん!」
吉野が洗面を終わらせてダイニングテーブルに着くと、美味しそうな和食が並んでいた。
「わーうまそう!
頂きま~す!!」
吉野はニコニコして頬をいっぱいにして食べている。
「やっぱりトリのごはんは最高だなー」
「少な目にしといたから、全部食べても胃の負担にならないから大丈夫だ。
ただし、良く噛んで食えよ」
「はーい!」
吉野は満足そうに完食した。
羽鳥が食後のコーヒーを淹れてくれたのを吉野が飲んでいると、吉野の目の前に小さな弁当箱と水筒が置かれた。
「これ何?」
吉野がわくわくした顔で訊く。
「サンドイッチとコーヒーだ。
お前は意外と味の好き嫌いがあるからな。
もし取材先で食べれない物が出たりしたら、それを食え。
容器は使い捨てだから、食ったら捨てろ。
でも無理に食わなくていいんだからな。
折角の取材なんだ。
旨いものを食ってこい。
コーヒーは車の中は乾燥してるから、アイスコーヒーにしてある」
「トリ!」
吉野は椅子から立ち上がると、羽鳥に抱きついた。
「トリ…さんきゅ…。
トリだってこれから仕事なんだろ?
それなのに…」
「大したことじゃない。
お前のことだから、朝飯抜くかカップラーメンか何かで済ませるつもりだったんだろ?」
「でも…」
「いいから着替えて来い。
時間が無くなるぞ」
「あっ!うん!」
バタバタとクローゼットのある寝室に走って行く吉野。
10分もすると戻って来た。
「早いな。
昨夜のうちに用意してたのか?」
「うん。荷物もバッチリ!」
吉野が得意気に笑う。
丁度良い時間だったので、そのまま玄関に向かう。
吉野は靴を履くと、くるりと振り返り、羽鳥がサンドイッチと水筒の入った紙袋を手渡してやる。
「じゃあ行ってきます!!」
吉野の輝くような笑顔。
羽鳥も微笑む。
「ああ、気をつけてな。
俺も後片付けをしたら出社するから」
「分かった!じゃあな!」
「ああ」
ゆっくりと閉まっていく玄関の扉。
吉野は扉が閉まるギリギリまで手を振っていた。
カチャリ。
玄関が閉まり、鍵の掛かる音がする。
羽鳥がその場に崩れ落ちる。
さようなら
さようなら
今日、お前は京極さんと一歩を踏み出すだろう。
まだ恋じゃないかもしれない。
でもいつか、恋に、なる。
お前だけを見つめて生きてきた日々。
お前も俺だけを見つめてくれた日々があったことは、一生忘れない。
お前が俺から離れても、俺はお前を見守っているから。
好きだよ、千秋
28年間一方通行だった俺に夢を見させてくれた。
好きだとまで言ってくれた。
身体まで許してくれた。
俺はこれからも千秋を好きでいるから
千秋は千秋に相応しい人と幸せになれ
俺は祝福するよ
千秋をこの世界で一番好きな男として
「でも今日くらいいいよな…」
羽鳥は呟くと涙を流した。
涙は留まることを知らないように、羽鳥の頬を濡らし続ける。
羽鳥は嗚咽を零しながら、愛している人の面影を追い掛ける。
小さな真っ白い顔に大きなタレ目の黒い瞳。
顔と同じ真っ白な細い身体。
もう触れることも許されないなら、もっとやさしくしてやれば良かった…
これからも一生好きな人は、羽鳥の腕の中で、いつもの幼い笑顔で、羽鳥を見上げているのだった。
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