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第1―20話
バレンタインデーまで後5日。
「じゃあお願いします」
吉野は玄関先でカラー原稿が入ったケースをバイク便の業者に渡す。
業者が受け取り去って行くと、吉野はリビングに戻り、ボスンとソファに転がる。
「お、終わった~…」
「ほら、コーヒー」
ローテーブルに柳瀬がコーヒーを置いてくれる。
今日はカラー原稿だけの仕上げだったので、アシスタントは柳瀬しか来ていない。
吉野は昨夜はひとり徹夜をした。
「急に配色変えたりするから。
結局、最初に決めた色になるし。
羽鳥に文句言われても知らねーぞ」
柳瀬に呆れたように言われても、吉野は笑顔だ。
「それがさあ、最近トリのやつ、説教しなくなったんだよね」
「はあ?羽鳥が?」
吉野がガバッとソファから起き上がる。
「たぶんバレンタインデーを相当意識してるんだと思う!
俺と喧嘩したりして、プレゼント貰えなくなるのが嫌だとか!?
最近、うちにも全然来ないだろ?
それもさ~バレンタインデーの準備を見たくないんだよ、きっと!
当日のお楽しみってやつ?
俺が京極さんに習ってるから、スッゲ期待してるんじゃないかな~」
吉野はニコニコ笑ってコーヒーを飲む。
「期待…ねえ…。
つか説教しないっつっても、羽鳥、この家に来ないどころか、千秋に会ってねーじゃん。
ここんとこ、メールとファックスだけだろ?」
「だから~!トリが本気で説教する気になったら、絶対押し掛けて来るし、電話だって掛かってくるじゃん!
それも無いんだから、絶対バレンタインデーを意識してるんだって!
それで俺に会っちゃうと、やっぱり質問とかしたくなったりするから…それだけ期待してるんだって!」
うきうきと浮かれる吉野に柳瀬は複雑な顔だ。
柳瀬は羽鳥とは他の担当作家のアシスタントで何度か顔を合わせたが、とても吉野の言うようにバレンタインデーが楽しみで仕方ないようには見えない。
仕事は完璧だが覇気が無く、どことなく影が薄くなった感じだ。
羽鳥は周りにそうは見せないように必死だが、中学からの付き合いの柳瀬には分かる。
あれは『無気力』というやつだ。
昔から羽鳥は、吉野が女の子を好きになったり、付き合ったりすると、途端に無気力で投げやりになっていた。
周囲や吉野本人には気付かれないように当時も必死に普通に振る舞っていたし、ポーカーフェイスが上手い羽鳥に周囲も吉野も気付くことは無かったが、柳瀬にはバレバレだった。
でも千秋がこんなに浮かれてるってことは、上手くいってんだよな…?
柳瀬は難しい顔のまま、コーヒーを口にした。
木佐と小野寺も最後の追い込みということで、バレンタインデーのプレゼントの練習を重ねていた。
もう大体形になっているが、ここまで来て失敗なんてあり得ない。
木佐は雪名に、小野寺は高野に、絶対突然家に来るなと宣言し、自宅で自主練習もしていた。
今日は木佐の家に小野寺が泊まり込みで特訓だ。
「もうチョコレートは一生食わなくていいかも…」
木佐がボールの中のチョコレートをこねながら言う。
「木佐さん、ファイトです!!
でも木佐さんはもう完成形ですね!」
「…まーねー」
木佐は気の無い返事だ。
木佐は会議室で羽鳥に会った翌日、雪名に会った。
雪名の第一声は「羽鳥さんと話しができましたか?」だった。
雪名のやさしさに木佐は胸が痛む。
「出来なかった…つか聞いて貰えなかった。
それに…」
木佐は会議室で交わした羽鳥との会話も話した。
雪名は瞳を潤ませて「どうにかならないんでしょうか」と絞り出すように言った。
木佐だって、どうにかしてやりたい。
吉野も京極の教室で不器用なりに一生懸命練習をしている姿を見ると、羽鳥を好きなことは明らかだ。
けれど羽鳥の決心は本物だ。
木佐が吉野と京極の関係で知ってることは少ないが、少ないなりに羽鳥に話したくても拒否される。
それに羽鳥が既に知っている事もある。
どーすりゃいいんだ…
お互いが好きなのに別れる!?
くっそー…何で上手く行かないんだよ!?
木佐がヤケクソになってシャカシャカと泡立て器でチョコレートを練っていると、チョコレートが左目の下に飛んだ。
反射的に指で擦ると、チョコレートが広がる。
そんな木佐を見て、小野寺がクスクス笑う。
「木佐さん、まるで殴られたみたいですよ」
「あーついてねー」
木佐は洗面所に走り、鏡で自分の顔を見て、確かに殴られたみたいだな~と思いながら、タオルを濡らして目元を拭いたその時。
青タンを作って出社してきた羽鳥を思い出した。
あの前日、千秋ちゃんの取材を外された羽鳥。
繋がらなかったスマホ。
ヤケ酒でも飲んでるのかと思った自分。
もし、その通りだったら?
酔っ払って喧嘩して…
待てよ。
その原因は京極さんの素性が分かったことと取材の件のダブルショックで…。
でも。
そもそも取材って何処に何しに行ったんだ?
高野さんは一言も取材先も目的も言わなかった。
俺は取材という名のデートだろうと思った。
羽鳥もそう思ったに違い無い。
だからあんなに荒れた…。
だけど。
それって俺達の勝手な想像だよな?
京極さんは日本に殆ど帰国しない。
たしかチラッと育ちも海外だって言ってた。
そんな人が、千秋ちゃんの漫画の取材先にしろ、デートにしろ、一人で計画を立てられるだろうか?
千秋ちゃんだって、普段の取材の段取りは、全て羽鳥任せだって羽鳥本人がいつも言ってる。
柳瀬くんの性格からしたら、自分は千秋ちゃんの付き添いだからと割り切って、あれこれ口は出さないだろう。
誰か、いる。
京極さんに協力してる誰かが。
その人がデートじゃないと明言してくれて、取材の本当の理由を教えてくれたら、あの頑固な羽鳥だって納得するんじゃないか?
普通に考えれば協力者は井坂さんだ。
でも俺達が井坂さんに正面からぶつかって行っても、上手くあしらわれて終わるだろう。
だったら…!!
木佐は汚れた顔もそのままに、小野寺の元に戻った。
「木佐さん、まだチョコレートが…」
「そんなのいいから!
律っちゃん、ちょっと話聞いて!」
「は、はい!」
木佐の迫力に押されて小野寺がコクコクと頷く。
木佐は自分の考えを一気に捲し立てた。
木佐の話が終わると、小野寺は拳をブルブル震わせながら「やりましょう!」と言った。
木佐も力強く頷く。
そうして木佐は横澤に、小野寺は高野に電話を掛けたのだった。
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