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第1―26話

柳瀬が合鍵で吉野のマンションの部屋に入ると、吉野はソファに丸まって咽び泣いていた。 「ちーあき」 柳瀬が吉野の髪をそっと撫でる。 吉野が涙を零しながら、柳瀬を見上げる。 「お前、夕飯食った? つか今日何か食ったか? 今、身体があったまるようなもの作ってやるから、まずそれを食え」 「…優…」 「うん」 「ト、トリが…明日…あえ、会えないって…」 「仕事かもな。 俺がいつも言ってるじゃん。 あいつワーカホリックだから仕方ねえよ」 「…優」 吉野はフッと笑った。 笑った拍子に涙がポロポロと頬を伝う。 「何だよ。 あいつが仕事バカなのは千秋が一番知ってるだろ」 「優!」 吉野は起き上がると柳瀬に抱きついた。 柳瀬の首筋が吉野の涙で濡れる。 吉野は声を上げて幼子のようにわあわあ泣く。 柳瀬はしっかり吉野を抱きしめる。 「大丈夫。大丈夫だよ、千秋」 そして柳瀬は「大丈夫」と言い続けるのだった。 柳瀬は冷蔵庫の中身を見て、味噌煮込みうどんを作ってやった。 その頃には吉野は泣き止んでいたが、「美味い…」と小さく言いながら時折涙を零して食べていた。 柳瀬はそんな吉野を真向かいに座って見守っていた。 吉野は味噌煮込みうどんを完食ですると、「ご馳走様!」と言って立ち上がろうとする。 それを柳瀬が止める。 「いいよ。俺がやるから。 あともう夜遅いからカフェオレでいいか?」 「ん。優、さんきゅ」 「おう」 柳瀬が笑って丼を下げてくれる。 吉野はボーッとダイニングテーブルを見つめていたが、ダイニングテーブルの端に立て掛けてあるファイルを手に取った。 自然と涙が溢れる。 吉野がファイルを胸に抱いて肩を震わせていると、「何それ」という言葉と共に、テーブルにマグカップが置かれた。 「これさ…」 吉野はファイルをテーブルに置くと話し出した。 「これ…トリから。 京極さんと優と取材に行っただろ? あの日、帰ってきたらこの説明書みたいのが、このテーブルに置いてあったんだ」 「ふーん」 柳瀬がファイルをパラパラと捲る。 「細かいなー…やだやだあいつらしいっつーか、読むだけで疲れるわ!」 柳瀬が呆れたように言って、吉野がクスッと笑う。 「そうだよな…」 「千秋?」 「最後に『俺は当分来れないから、この用紙を役立ててくれ』ってトリの字で書いてあるだろ?」 「ああ」 「それって遠回しに俺に愛想を尽かしたって言ってるんだと思う…」 また吉野の瞳から涙が零れる。 「俺が何にも出来なくて…編集の仕事もあって担当作家は俺だけじゃないのに、トリに家事まで当然みたくやって貰って…そんなに細かく書かなきゃ理解出来ないほど俺は何にも知らなくて…トリに頼りっきりで…トリは我慢の限界がきたんだと思う…」 「何言ってんだよ、千秋! あいつが自分で好きで家事でも何でもやってるってお前だって分かってるだろ!?」 柳瀬が椅子から立つと、吉野の細い肩を掴む。 吉野が泣きながら柳瀬を見上げる。 「俺…トリはバレンタインデーの用意が見たくないから、バレンタインデーまでうちにこないんだって、そのくらいバレンタインデーを楽しみにしてくれてるんだと思ってた…」 「そうだよ!きっとそうだ!」 吉野は力無く首を横に振った。 「違うんだ…。 トリはバレンタインデーなんか全然興味無かったんだ。 逆に俺からのバレンタインデーのプレゼントなんて迷惑だったんだ…。 だからそのファイルを作っていったんだよ…そうして少しずつ俺と別れる為に…」 吉野が柳瀬にしがみつく。 柳瀬のセーターを吉野の涙が濡らす。 柳瀬はやさしく吉野の背中を撫でた。 「千秋、今夜はもう寝ろ。 眠るまで傍にいてやるから。 そしたら俺は一度家に帰って明日の朝、準備をしてまた来るから」 「…準備?」 吉野が不思議そうな声を出す。 「そうだよ! バレンタインデーの準備! 羽鳥がプレゼントがいらねーって言うんだったら、俺達で食おうぜ。 あんなに一生懸命練習したんだ。 記念に作って、写真も撮ろう。 京極さんも楽しみにしてるだろうから、京極さんに画像も送ろうぜ! 京極さんにお礼の意味も込めてさ」 吉野はウンウンと頷いた。 吉野がパジャマに着替えてベッドに横になると、柳瀬は蒸しタオルで吉野の顔を拭いてやり、吉野がいつも使っているオールインワンのクリームを塗ってやった。 吉野は泣き疲れたていたようで、柳瀬のいる安心感もあってか、柳瀬の手を握ったまま直ぐに眠りに落ちた。 柳瀬は吉野の手をそっと離すと掛け布団の中に入れてやった。 そうして部屋の戸締りをすると、吉野のマンションを後にした。

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