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第1―27話
バレンタインデー当日。
羽鳥はいつものように午前8時にマンションを出た。
エントランスから外に出て、驚いて足が止まった。
柳瀬が立っているのだ。
「何で…」
柳瀬は何も答えず荷物を道路に置くと、羽鳥をマンションの壁に突き飛ばした。
「柳瀬、お前…」
「避けるなよ、羽鳥」
柳瀬は一言そう言うと、羽鳥の腹に強烈なパンチを打ち込んだ。
羽鳥が腹を押さえてしゃがみ込む。
「これは昨夜千秋を泣かせた分。
本当は顔に一発お見舞いしたいところだけど、お前も仕事があるからな。
感謝しろよ。
そして自分のしてることを良く考えろ」
羽鳥は何も言わない。
いや、言えない。
「じゃあな」
柳瀬はそう言うと荷物を持ち、飄々と去って行った。
エメラルド編集部は次から次に届くチョコレートで、資料を置く隙間も無い。
エメラルド編集部の編集員は個人宛のチョコレートは受け取らないので、全て編集部宛だが、お目当ての個人に編集部宛と称してチョコレートを渡す女性社員は後を絶たない。
イケメンだらけのエメ編は例年のこととはいえ、仕事をしつつ女性社員の相手をしなくてはならなくて、目の回るような忙しさだった。
羽鳥は昨日と変わらず眉間に皺を寄せ、難しい顔をして通常通り仕事をしながら、チョコレートを持って来る女性社員には笑顔で対応していた。
木佐と小野寺はそんな羽鳥が気になったが、自分達もバレンタインデーの予定があるので、一刻も早く仕事を片付けたいし、羽鳥同様女性社員のバレンタインデー攻撃を受けていた。
そして木佐と小野寺が羽鳥に声を掛ける間も無く、羽鳥は定時で帰って行ってしまったのだった。
別に、羽鳥に終業後、予定があった訳ではない。
ただ、早くひとりになりたかった。
自宅マンションに着いても何もやる気が起きない。
何とかスーツから部屋着に着替える。
ふと鏡を見ると、腹部に痣が出来ていた。
今朝、柳瀬に殴られたからだろう。
だから、何だって言うんだ?
羽鳥は思う。
吉野を泣かせた自分には軽すぎる罰だ。
羽鳥はテレビの音すら聞きたく無くて、無音の部屋のソファに座り、ただコーヒーを口にしていた。
発泡酒も飲む気になれない。
何も考えたく無い。
けれど吉野の姿が次々に浮かんでは、消える。
「やめてくれ…もうやめてくれよ…」
羽鳥が思わず呟いたその時、インターフォンが鳴った。
反射的に掛け時計を見る。
19時30分を過ぎたところ。
こんな時間に誰だ?
まさか…吉野?
まさか…
羽鳥がインターフォンの受話器を取り「はい」と返事をすると、元気一杯の声がした。
「羽鳥のお兄ちゃん?
私、日和!
開けてくれる?」
羽鳥は返事もせずに慌てて玄関の扉を開けると、そこに日和が満面の笑みで立っていた。
だが、日和は普通の服装では無い。
仮装と言っていいだろう。
まるでハロウィンの魔女のような帽子に、マントに、ワンピースに、ブーツ姿だ。
ただ、色はハロウィンで良くある黒や紫では無く茶色で、所々に赤いリボンが飾られているのが、かわいらしさを強調している。
「日和ちゃん、どうしてうちに…」
羽鳥は言いかけてギョッとした。
日和の後ろに180はある長身の男が立っているのだ。
その男は日和とお揃いの帽子を被っていて、何故か首から下は熊らしき仮装をしている。
襟にちょこんと赤いリボンの蝶ネクタイを付けて。
「ま、まさか…」
羽鳥が言葉を失う。
それは真っ赤な顔をした横澤だった。
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