話は５日前に遡る。 その夜、桐嶋家にいた横澤のスマホに電話が掛かってきた。 横澤は随分長い時間、客間に篭もり、電話で話していた。 やっとリビングに戻って来た横澤は複雑な顔をしていた。 「どうした？ 仕事で何かあったか？」 桐嶋の問いかけに横澤は、 「エメ編の木佐からちょっと」 と言うだけ。 そのくせ、桐嶋を意識しているのが分かる。 桐嶋に話を切り出そうとしては、止める。 その繰り返しだ。 だが桐嶋は無理に話させようとは思わなかった。 横澤の様子を良く見ていれば分かる。 あれは『頼み事』だ。 きっと木佐は桐嶋に頼み事があって、その仲介を横澤に頼んで、横澤が断ったというところだろう。 横澤は桐嶋に少しでも迷惑を掛けるようなことは、とことん嫌がる。 桐嶋は横澤が断ってなお、まだ話そうとするなら、横澤の気持ちが固まるのを気長に待っていてやろうと思ったのだ。 そして翌日、桐嶋は横澤から昼休憩を１時間くらいずらせば一緒に昼食を取れると連絡があって、即OKした。 そこは丸川書店から歩いて10分くらいのところにあるビストロ。 ここなら丸川の連中にも会わず、横澤とゆっくり食事が出来るだろうと、桐嶋はうきうきしていた。 桐嶋の予想通り、丸川の関係者は誰も居なかった。 パーテーションで仕切られた奥の席。 疲労困憊の身体に美味しい料理と横澤の笑顔。 桐嶋が幸せを噛み締めていると、ふいに不穏な空気が漂ってきた。 パーテーションの向こう側からエメ編の木佐と小野寺の声がするのだ。 もう一人男もいるらしい。 話は良く聞き取れなかったが、楽しい話では無さそうだ。 そのうち、ハッキリと小野寺の声が聞こえた。 泣くのを我慢しているように、 「人を好きになったら…！ その人に恋したら、誰だって小さいことで不安になったりします！ 信用して無いんじゃなくて、自分に自信が無いから、勝手に妄想膨らませて相手を疑ってしまう！ みっともなくたっていいじゃないですか！ みっともなくなるくらいその人が好きなんです！ は、羽鳥さんはっ…我を忘れるくらい、よ、吉野さんが好きなんですっ！ 分かって、あ、あげて下さい…っ…！」 と、啖呵を切っている。 桐嶋は、羽鳥と吉野さんのことか…とひとり頷いた。 だが、羽鳥は吉野さんと別れると決心したんじゃなかったか？ 今更、木佐と小野寺が何を…。 桐嶋が考えながらふと横澤を見ると、横澤が涙ぐんでいて桐嶋は驚いた。 横澤は涙が零れないように、必死にハンカチで目元を擦っている。 その姿を見て、桐嶋は全てが繋がった。 横澤に木佐から掛かってきた電話。 今の小野寺の言葉。 全て羽鳥の為だと。 けれど桐嶋に迷惑を掛けまいと、話さず胸に秘めている横澤。 いじらしい！！ 何ていじらしいんだ、隆史！！ 桐嶋は悶えたくなるのを我慢して、やさしく横澤に「俺に話したいことがあるんだろう？」と言ったのだった。 横澤から話を聞いた桐嶋は「その程度で悩むな。これからは俺に関することもお前に関することも全てありのまま話せ」と最後に付け加えた。 横澤は「桐嶋さん…！」と感動しながら、子供のようにコクコクと頷いている。 フッ…決まった… 桐嶋は横澤がキラキラした目で桐嶋を見ているのを思い出しながら、翌日定時に出勤し朝イチに社長室に内線で直電を掛けた。 電話に出た朝比奈に、井坂に代わってもらい「これから行くから」とだけ言って社長室に乗り込んだ。 桐嶋が朝比奈に「井坂と二人で話したい。席を外してくれ」と言うと「駄目だ！」と叫んだのは己の危機を感じ取った井坂だった。 桐嶋は素早く井坂の隣りに立ち、耳元で囁いた。 井坂の新人時代の恥ずかしい過去を朝比奈さんにばらすぞ、と。 「どれがいいかな～。 新人歓迎会の時の話がいいか？ それとも初めて持った担当作家の家で…」 今度は腕を組み、わざと朝比奈に聞かせるように言う桐嶋に、井坂はまたも叫んだ。 「朝比奈、俺は桐嶋と大事な打ち合わせがある！ 終わったら呼ぶから席を外せ！」 朝比奈は冷静に「かしこまりました」と言い一礼すると、社長室を出て行く。 パタンと扉が閉まると桐嶋は井坂ににっこり笑い掛けた。 「井坂社長にお願いがあります」 井坂は取材の件は、吉川先生本人が誰にも知られたくないと言っているので話せないが、遼一と吉川先生の関係の誤解は解くから安心しろ、と言い、その日の午後、実行した。 井坂からは自信満々の報告の電話も掛かってきて、桐嶋はホッとして、桐嶋も直ぐ横澤に報告してやった。 横澤も安心したようで、「桐嶋さん、ありがとう」と何度も言って、桐嶋をニヤケさせたのだった。