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第1―29話

そうしてやって来たバレンタイン当日。 桐嶋は日和に何度も「今日は早く帰ってきてね!」と念を押されていた。 「分かってる。 会社が終わったら直ぐ帰るから、6時前にはマンションに着く」 「やったあ!」 大喜びする日和に隠れるように、横澤も頬を赤くしてチラチラ桐嶋を見てくる。 かわいいなー二人ともっ!! 今日は最高のバレンタインだな! 桐嶋の予感は当たった。 宣言通り18時前に家に着くと、現れたのは仮装をした日和だった。 「ひよ、どうしたんだ、その格好! すっごくかわいいぞ。 横澤と買いに行ったのか?」 「そう!素敵でしょ? ブーツは今日初めて下ろしたから、家の中で履いてもいいってお兄ちゃんが言ってくれたの! 今日の私はチョコレートの妖精だよ!」 「チョコレートの妖精かあ…。 良いアイデアだ。 で、もう一人の妖精は?」 「勿論いるよ! 妖精さ~ん!お父さんが帰ってきましたよー!」 日和の声に「…は~い」と小さな声がして、廊下とリビングを隔てるドアが開く。 現れた横澤に桐嶋は目が釘付けになった。 「……チョコレートの妖精が何で熊なんだ?」 「し、仕方ないだろう! 俺に入る茶色の仮装がフリーサイズの熊の衣装しかなかったんだよっ!」 真っ赤っかになる横澤をウットリと日和が見上げる。 「お兄ちゃん、かわいいよねー!! 蝶ネクタイは私が選んだの!」 「ひよは天才だな!」 二人を抱きしめたいのを我慢しながら、桐嶋が言う。 「あ!いけない! 私達妖精からお父さんにお願いがあるの!」 「何だ?」 「エンジェルさんを助けて欲しいの!!」 妖精のお願いでエンジェルを助ける…? 何だかややこしくなってきたな… 「ほら見て!」 考え込む桐嶋を無視して、日和がスマホの画面を桐嶋に見せる。 「今日、学校から帰ってきたらそのトークがあって、エンジェルさんがいなくなってたの!」 確かに、日和と横澤の他には『メンバーがいません』になっている。 その、もういないメンバーからの最後のトーク。 日和の『エンジェルさんのバレンタインデーはどんなバレンタインデーですか?』というトークの下に。 『エンジェルにはバレンタインデーはありません。 僕はエンジェルなので、日和ちゃんや横澤さんが幸せなバレンタインデーを迎えられることを祈るだけです。 お父さんを驚かせて喜ばせてあげて下さいね。 今までとても楽しかったです。 ありがとう。 さようなら』 「バレンタインデーはありませんって…」 エメ編の誰かが『エンジェル』の筈なのに、バレンタインデーに関係無いやつなんていたか? スマホの画面をじっと見つめる桐嶋に、横澤が告げる。 「エンジェルは…羽鳥なんだ」 「羽鳥…か」 「名前に羽があるから、エンジェル。 木佐から電話もあった。 井坂さんの話の後でも、羽鳥の様子が変わらないって。 バレンタインデーどうなるんだろうって…」 「お父さん! エンジェルさんにもバレンタインデーをやらせてあげようよ!」 桐嶋はフッと笑った。 「あいつは本物の大馬鹿野郎だな」 そして桐嶋は二人の妖精の肩をポンと叩いた。 「お父さんがお前達のお願いを叶えられなかったことがあるか?」 「お父さん!」 「桐嶋さん!」 妖精達の顔がパーッと明るくなる。 「早く車に乗れ。 エンジェルのところに行くぞ」 「はいっ!」 小さな妖精と大きな妖精の声が揃った。 羽鳥の住所は直ぐに分かった。 横澤と羽鳥は年賀状のやり取りをしているからだ。 吉野の住所も直ぐに分かった。 羽鳥の住所の徒歩10分圏内の超高級マンションはひとつしかない。 羽鳥が呆然と日和と横澤を見つめていると、桐嶋が姿を現した。 「羽鳥、コートを羽織って、財布とスマホを持って来い」 「き、桐嶋さん…?」 「羽鳥のお兄ちゃん!」 日和が早く早くというように、羽鳥の身体をぐいぐい押す。 「お兄ちゃんはこれから夢と愛の国に行くんだよ!」 日和の口から『愛』という言葉が出て、羽鳥の胸がドキリとする。 「バレンタインデーの妖精の私と横澤のお兄ちゃんが迎えに来たんだから、もう大丈夫! お兄ちゃんも幸せなバレンタインデーを迎えられるよ、絶対!」 「その国ではなあ、羽鳥。 好きな人と好きな人は当然結ばれるんだよ。 チンケなプライドや勘違いの決心を恥じたり後悔するような、頑固でくだらねーやつの心を一瞬でまっさらにしてくれる夢みたいな愛の国。 好きな人に好きって伝えるだけでいいシンプルなところだ。 まるで俺んちみたいだよなあ、隆史」 「う、うるさいっ! 人前で何言ってんだ! 羽鳥、早く支度しろ」 羽鳥は三人に微笑みかけると、素早く部屋に入り、直ぐに玄関に戻って来た。 吉野のマンションの前に桐嶋の車が停まる。 羽鳥が「ありがとうございました」と言って車を下りると、日和と横澤も車から下りて来た。 「日和ちゃん、今日はありがとう。 桐嶋さんも横澤さんもありがとうございました。 失礼します」 羽鳥はそう言うと三人に背を向ける。 そうしてエントランスに入ろうとした、その時。 「お兄ちゃん、頑張れ!」 日和の大声がして羽鳥が振り返る。 日和はぴょんぴょんその場で跳ねながら、一生懸命手を振っている。 その隣りの横澤も小さく手を振っていた。 日和は勿論かわいいが、横澤の熊の姿もかわいくて、羽鳥の肩から力が抜ける。 これ以上二人を見ていると泣いてしまいそうな気がして、羽鳥も手を振り返すと、足早にエントランスに入って行くのだった。

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