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第1―30話

羽鳥の次にエメラルド編集部を出たのは美濃と木佐だ。 「美濃はバレンタインデーの予定あんの?」 木佐の問いかけに美濃は微笑みを一層深くする。 木佐は勿論予定がある。 バレンタインデーはブックスまりもの売り上げ貢献の為に、雪名はバイトは休めないが、木佐にとっては都合が良い。 夕食の準備をする時間が出来るからだ。 いつも雪名に作ってもらっているから、今日くらい手作りの物を食べさせたい。 木佐はうきうきしながら自宅コーポ近くのスーパーに寄るのだった。 高野と小野寺しかいないエメラルド編集部。 微妙な空気になるのは否めない。 小野寺はそれでも高野を意識しないように帰り支度をしていると、いつの間にか完璧に帰り支度を終えた高野が小野寺の隣りに立っていた。 「ヒィッ!!」 小野寺が驚きの余り仰け反る。 高野がクククと笑う。 「な、何ですか」 「何ですか、じゃねーよ。驚き過ぎ。 早く帰ろうぜ」 高野が小野寺の頭をポンポンと軽く叩く。 小野寺がぶわわっと赤くなる。 「た、高野さん。約束守って下さいよ? 帰って1時間後にうちに来ること!」 二人で歩き出す。 「分かってるって。 パリとオーストリア仕込みのチョコレートを堪能させて貰いますよ~」 高野が悪い笑いで小野寺にプレッシャーをかけてくる。 しかし小野寺も負けてはいない。 「高野さんに絶対旨いって言わせますから!!」 「へーへー」 ムカッ!! 小野寺が足早に丸川書店を出る。 それを高野が余裕で追い越す。 それをまた小野寺が追い越す。 高野と小野寺は競歩をしているが如く、駅に向かうのだった。 桐嶋と日和と横澤は、桐嶋のマンションのエレベーターホールにいた。 「羽鳥のお兄ちゃん、上手くいったかなあ?」 心配そうな日和に桐嶋が笑いかける。 「大丈夫だ。 妖精さんが二人も揃って魔法を掛けたんだから」 「魔法?」 「頑張れって手を振ってただろう?」 「あ!そうだね!」 日和がにっこり笑って桐嶋と横澤と手を繋ぐ。 すると「あら、日和ちゃん?」と女性の声がした。 三人で振り返ると、日和と仲良しの由紀の母親が立っていた。 「あ、おばさん。こんばんは」 「こんばんは! かわいい仮装をしてるのね~! もしかしてチョコレートだから茶色なのかしら?」 「そう!私達今夜はチョコレートの妖精なの!」 「私達……?」 由紀の母親がハッとしたように、桐嶋の後ろに隠れるように立つ横澤に視線をやると同時に目を見開く。 「あ、あの…」 「こ、こんばんは。よよよ横澤ですっ…。 きょ今日はその…」 横澤が真っ赤になって何とか挨拶していると桐嶋が言った。 「娘に付き合って仮装してくれたんですよ。 横澤はやさしいので」 由紀の母親は感動したように頷く。 「いつも日和ちゃんが横澤のお兄ちゃんはやさしい、何でも出来るって言ってますものね~! そうだわ!三人のお写真撮りましょうか?」 「えぇ!?」 悲鳴のような声を上げる横澤を無視して、桐嶋と日和が盛り上がる。 「わあ!撮ってもらおうよ! おばさん、お願いします!」 「そうだな!じゃあこれで!」 桐嶋がスマホをカメラモードにして由紀の母親に渡す。 「じゃあバストアップと全身撮りますね~」 由紀の母親もノリノリだ。 何回シャッターが切られただろうか。 横澤にとって地獄の時間が過ぎた…と思ったら世間はそんなに甘くは無かった。 桐嶋にスマホを返しながら由紀の母親が言う。 「私のスマホでも撮っちゃ駄目かしら? こんなにかわいい日和ちゃんと横澤さん、由紀にも見せてあげたいんです。 勿論、後で桐嶋さんにも送りますから」 日和ちゃんと…横澤さん!? 横澤が一瞬にして真っ青になる。 「どうぞどうぞ」 桐嶋がニコニコと日和と横澤の背を押す。 「わーい! チョコレートの妖精のツーショットだよ、お兄ちゃん!!」 「……ああ」 「じゃあいきまーす」 そして超盛り上がる三人と、また横澤だけの地獄の時間が過ぎて行くのだった……。 ダイニングテーブルの上の『プレゼント』の写真を撮りまくり、京極のスマホに全て送信し終えると吉野が言った。 「なあ、優、もう食べよーぜ?」 「んー…そうだなあ」 柳瀬は玄関からの廊下とリビングを仕切る扉を見ながら答える。 「優、さっきから玄関を行ったり来たりしてるけど、何かあんの?」 「…すっげー馬鹿野郎が、最低1時間くらい玄関の前にいるんだよ」 「えぇ!?」 吉野の顔が引きつる。 「ストーカーとか泥棒とか…?」 怯える吉野に柳瀬が重々しく頷く。 「どっちも正解」 「えー!!どうしよう!? うちのマンション、セキュリティが厳しいから普通入って来れないよな!? それなのに…? け、警察に電話した方がいい!?」 「千秋、落ち着け。 そのストーカーの泥棒変態野郎は、千秋の態度ひとつで居なくなるから大丈夫だ」 「で…でも俺、喧嘩とかしたこと無いし…」 柳瀬がプッと吹き出す。 「喧嘩なんかしなくていーんだよ。 『帰れ』って言えば居なくなる」 「そ、それだけでいいの…?」 吉野がキョトンとして訊くと、柳瀬はコートを着て、バッグを肩から下げながら「『消えろ』でもいいかもな」と笑っている。 「優?」 柳瀬が吉野の細い手首を握り歩き出す。 「こ、怖いよ…俺…」 「大丈夫っつったろー」 柳瀬が靴を履き、吉野もスニーカーを突っかける。 玄関の扉が開く。 そこには。 スマホを握り締めた羽鳥がいた。 羽鳥も突然玄関が開いて驚いているようだ。 「吉野…」 「ト、トリ…? 何で…今日は来れないって…」 「すまん、吉野。 俺は…俺は…」 羽鳥が苦しそうに顔を歪める。 次の瞬間。 吉野が羽鳥に抱きつく。 「トリ…トリ…」 吉野の瞳から涙が零れ落ちる。 羽鳥も吉野を強く抱きしめる。 「はーい、お二人さん、そこまでー」 柳瀬の気のない声が響く。 「そっから先は部屋に入ってからやれ。 マジで通報されるぞ。 じゃあな、千秋」 柳瀬はそれだけ言うと歩き出す。 「優!」 「柳瀬、ありがとな」 柳瀬の足がピタリと止まると、物凄く嫌そうな顔をして振り返った。 「羽鳥に礼を言われる筋合いなんてねえよ。 寒気がするわ!」 と言い捨てると、吉野ににっこり笑いかけた。 「千秋、ハッピーバレンタイン!」 「優!」 吉野の瞳から涙がポロポロと真っ赤な頬を伝う。 柳瀬はフッと笑うと、二人に背を向け、片手をひらひら振りながら去って行った。

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