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第1―31話

雪名がテーブルを見て歓声を上げる。 「わー手巻き寿司じゃないっすか! あ、お吸い物もある! 木佐さんスゲー!!」 「まあな」 木佐は顔を赤くしながらも、フフンと得意気に笑う。 実は木佐はこの日の為にネットで『不器用なあなたにも出来る!!超簡単手巻き寿司!』という記事を見つけて、練習していたのだ。 チョコレートに和風の食事を合わせるのもお洒落だと、京極にも勧められた。 それにネットのキャッチフレーズ同様、やってみると一度で成功した。 それで三回練習し、全て成功すると、バレンタインデーのプレゼント作りに集中していた。 「手巻き寿司の前に食べて欲しいものがあんだよ」 「分かってます!! 早く食べさせて下さい!」 雪名がキラキラオーラを振り撒きながら、木佐を見つめる。 木佐は冷蔵庫から正方形に近い長方形の箱を取り出す。 箱は白がベースで色とりどりのハートが印刷されていて、赤と金色のリボンが花の形で結ばれている。 「……きれいっすね」 雪名が大切そうに箱を両手で持つ。 「ま、箱は市販品だけどさ。 リボンは俺が巻いたから」 京極はケースやリボンのデザインもするので、木佐が用意した箱にあったリボンの巻き方も教えてくれていた。 「これ、崩すの勿体無いなあ…」 ウットリと言う雪名に、木佐が焦れったそうな声を出す。 「だったら写メでも撮っとけ! 早く中身を食べろよ!」 「はいっ!」 雪名はパシャパシャと写真を取ると、リボンを解き、箱を開ける。 「あっ…これ、もしかしてトリュフですか?」 雪名が感嘆の声を上げる。 木佐が雪名の肩にちょこんと頭を乗せる。 「京極さんのチョコレートはな、緯度と経度の天候に合わせて作られたチョコレートなんだよ」 「いっ緯度と経度!? 地球規模じゃないっすか!」 「そっ。 つまりこのトリュフは雪名だけのもの…。 この地球上で雪名しか食べられないものなんだよな…」 「木佐さん…」 「でもさ、今日の天気が何になるか分かんないだろ? だから晴れ、曇り、雨って三種類練習してさ。 それが微妙でスゲー難しくて…」 木佐の言葉を遮り、雪名が木佐を抱きしめる。 「雪名…?」 「木佐さん、俺、何て言ったらいいか…。 嬉しすぎて分かんないっす。 でも、好きです。 翔太さんが大好きです」 「…ん…。俺も」 「翔太さん」 雪名が木佐から身体を離すとトリュフを一粒口に入れた…と思うと雪名と木佐の唇が重なる。 木佐の唇にトリュフが触れる。 木佐が口を開くと、雪名の舌と共にトリュフが木佐の口腔に入ってくる。 木佐と雪名の舌が絡む度、トリュフが溶ける。 そうしてトリュフが溶けて無くなると、雪名が唇を離した。 雪名がにっこり笑う。 「これでこの地球上で、このトリュフを同時に食べたのは、翔太さんと俺だけになりますね」 木佐の顔がぶわわっと真っ赤になる。 「そ、そうだな」 「勿体無いから今全部食べなくてもいいですか?」 「好きにしろよ。 それは雪名のモンなんだか」 「はい!好きにします!」 雪名は素早く冷蔵庫にトリュフの入った箱をしまう。 そうして二人は手巻き寿司にニコニコ笑ってかぶりつくのだった。 「…チョコレートフォンデュ?」 疑問形で訊かれて小野寺のこめかみがピクリと動く。 「チョコレートフォンデュに何か問題でも!?」 「…いや。 チョコレートフォンデュってさあ、見たことしかねーけど、何か滝みたいに流れるチョコレートに串に刺した食べ物を潜らせるんじゃなかったっけ? これどう見ても取っ手の無い鍋…」 小野寺がダイニングテーブルをバンッと叩く。 「そりゃあ家庭用のも売ってますよ? でもそれ来年からどうするんですか!? ずーっと毎年チョコレートフォンデュでいいんですか、高野さんは!?」 「いいよ。 つかお前、ずーっと毎年俺とバレンタインデー過ごしてくれるんだ?」 小野寺がカーッと真っ赤になる。 「う、うるさいっ! 言葉のアヤです! それにこのチョコレートはそんじょそこらのチョコレートじゃないんです! 緯度と経度と天気を計算して作った、地球にここにしか無いチョコレートなんですから!!」 「へー。京極さんの店ってそれが売りなんだ。 スゲーな」 小野寺が高野の言葉を無視して、一転ウットリして言う。 「パリにはパリの…オーストリアにはオーストリアの緯度と経度とその日の天候にあったチョコレートがあるんです。 俺だって今日の天気が分からないから、晴れ、曇り、雨の三種類のチョコレートを猛特訓して…っておい!!」 高野は既にもぐもぐとチョコレートフォンデュに潜らせた何かを食べている。 「やっぱパンはチョコレートに合うな」 「た、高野さん…そのパン…ちゃんと見ました…?」 「あ?パンぽかったから食ってみたんだけど」 「これだから高野さんは…!!」 小野寺は怒りの表情を露にすると、具材が乗った皿をぐいぐいと高野に押し付ける。 「良く見て下さいっ!! パンは本の焼き色がついてるでしょう!? フルーツだって全部飾り切りにしてあるんです! これをマスターするのだって、どんなに大変だったか!!」 「小野寺」 「何ですか!?」 「お前、そんなに頑張っちゃう程、俺が好きなの?」 「ななな何言って…」 小野寺が耳まで赤くなる。 「ま、いーや。 それよりこのシャンパンも用意してくれたんだろ? 乾杯してチョコレートフォンデュ食おうぜ」 高野がテーブルに置かれたシャンパンのグラスを持ち上げる。 小野寺も渋々テーブルに着くとグラスを持ち上げた。 カチンとグラスを合わせる軽快な音がする。 「小野寺、サンキューな。 お前の『好き』を今夜は全部頂くから」 高野が本当に嬉しそうに言って、小野寺の胸がドキドキと鼓動を打つ。 「でも地球にひとつしか無いチョコレートを二人で食べるのって、何か照れるよな。 それこそ少女漫画の世界だよな。 奇跡…ってやつ?」 「高野さん…」 小野寺が瞳を潤ませ、高野を見つめたその時。 ブスブスブス。 高野が三種類のフルーツを無造作に串に刺し、チョコレートに潜らせる。 とても飾り切りをきちんと見て、堪能したようには見えない。 「お、うめ。 チョコレートケーキ食ってるみてー」 そして、また。 ブスブスブス。 無造作に複数の具材を串に刺す高野。 高野が三度同じことを繰り返した時、小野寺の怒りは爆発した。 「よし!ひよ妖精、頼む」 「はいっ!」 桐嶋がダイニングテーブルに着いていると、日和が運んで来たのは大皿に盛られたシュークリームのツリーだった。 天辺にはイチゴのチョコレートなのか、ピンクのハート形の飾りが立っていて、シュークリームの一番下の段には小さな女の子と二種類の大人の男らしきのクッキーが並んでいる。 「凄い!凄いなあ、ひよ!」 「お父さん、それだけじゃないんだよ。 何たってチョコレートの妖精が作ったんだから!」 日和は得意気に言うと「妖精さ~ん!」とキッチンに向かって言った。 魔女の帽子に熊の仮装の横澤が、キッチンから小さな鍋を持ってやって来る。 チョコレートの香りがダイニングに広がる。 「じゃあ仕上げをしまーす!!」 横澤が持つ鍋に日和が手を添える。 そして。 シュークリームのツリーの天辺から、鍋の中の溶けたチョコレートを回しかけていく。 チョコレートはシュークリームをチョコレートに染めて、クッキーにも辿りつく。 「お父さん!ハッピーバレンタイン!!」 日和がにっこり笑う。 横澤も照れ臭そうに笑っている。 桐嶋の胸に熱いものが込み上げる。 瞳まで潤んできて、桐嶋は慌てて言った。 「このクッキーはもしかして…」 「そう!私とお父さんとお兄ちゃん!! 私達はいつでも一緒だから!」 『私達はいつでも一緒だから!』 その一言が胸に響いたのは、桐嶋だけでは無いようだ。 横澤が瞳を潤ませ、早口に言う。 「それ、ジンジャービスケットでそんなに甘く無いから、シュークリームの後でも食べられるだろ。 明日食ってもいいし。 まずは夕飯にしよう。 みんな腹減ってるだろ」 「そうだね! お父さん、今夜はチョコレートシュークリームのツリーだけじゃないんだよ! ご馳走なんだから!」 日和が横澤の後を付いてキッチンに入っていく。 桐嶋は天井を見る。 涙が零れ落ちないように。 幸せだ。 人は幸せでも泣いてしまう。 でも今日は。 笑顔でいるのが、二人の妖精に出来る桐嶋の使命なのだ。 吉野は涙で濡れた顔を手で擦る。 その手を羽鳥がそっと掴む。 「擦るな。赤くなる」 「でも…」 「吉野」 「なに?」 「吉野の家に入ってもいいか?」 吉野はキョトンとして羽鳥を見上げる。 「トリ、うちの合い鍵持ってるじゃん」 「…俺は、今日はここには来れないと言っただろう? そして吉野を悲しませて…泣かせた。 それだけじゃない。 合い鍵を使う資格なんか無い」 すると吉野が涙に濡れた頬もそのままに 「馬鹿っ!」 と怒鳴った。 「よ、吉野…?」 「いつもは察しが良いくせに、こういう時は鈍感なんだよな、トリは!」 吉野は羽鳥の腕を掴むと玄関を開け、部屋に上がると、どんどんダイニングテーブルに向かう。 そして真っ赤な顔で「ほら!バレンタインデーのプレゼント!」とダイニングテーブルを指さした。 羽鳥は微動だにせず、その『プレゼント』を見つめている。 「トリ、分かる?」 さっきまでの勢いはどこへやら、吉野がおずおずと訊く。 「分からないわけ無いだろう」 羽鳥は瞳を潤ませ、吉野を力いっぱい抱きしめた。

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