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第5話(後編)・得体の知れない感情。

 いや、やめておこう。何故か七緒はこれ以上、この件についての感情を深く追求してはいけないような気がした。  そんな七緒の心情を知らない三谷は静かに口を開いた。 「荷物が重くて困っている老婦人を家まで送っていた為に、先方との取引時間に間に合わなかったとーー」  尋ねなければ良かったと、七緒は今さらながらに後悔した。その件は今から二ヶ月前にあったことで、頑張って頑張ってどうにか取れた大手取引先との商談を自ら台無しにしてしまうという最も愚かなことをやってのけた。おかげで相手先には取引をキャンセルされ、会社に戻ってからは上司から散々小言を聞かされた。  彼はきっとそんな自分を馬鹿にしているに違いない。七緒は澄ました顔の社長を睨む。 「仕事よりも困っている人を助ける僕はどうせお人好しの大馬鹿者ですよ」  三谷は七緒がいかに不出来な人間なのかを知っている。それでも馬鹿にされるのはまっぴらだ。こうなったら焼けだ。どうせ皮肉のひとつやふたつ帰ってくるに違いない。  ツンケンした態度で言い返せば、彼は口角を上げて微笑んでいた。そればかりではない。さらに彼は七緒に思っても見ない言葉を投げかけてきたのだ。 「いや、可愛いよ」 「えっ?」 (可愛いってなに?)  またもや思ってもみない返事が返ってきた。同性相手に可愛いとはどういう意味だろう。彼は何故そんなことを口にしたのか。それに自分はいったいどうしてしまったのだろう。心臓が早鐘を打ち、顔が熱を持つ。体中が火照っているのが七緒本人でも判るほどに……。  これでは初恋を知った少年のようではないか。返事に苦戦する七緒だが、救いの手は思わぬ場所から差し伸べられた。  三谷の携帯から繰り返し着信音が聞こえて、七緒は助かったと思った。しかしそれも束の間だ。電話で話している相手先との会話は芳しくないのか、三谷の表情が少しずつ険しくなっていく。 「とにかく警察に連絡して。私も探してみます」 「どうしたんですか?」  嫌な予感がする。  ただならぬ気配を感じた七緒は尋ねると、三谷はようやく顔を上げ、七緒を見た。果たして彼は、何をするにしても常に自信に満ち溢れているあの社長だろうか。皆からは秀逸とさえ呼ばれる普段の彼からは全く想像できないほど、顔が真っ青だ。  とてもではないが見ていられない。七緒は目の前で顔面蒼白している彼に尋ねた。 「皐月がいなくなったと保育園から電話が入った」 「なんですって?」 「子供の足ではそう遠くに行っていない筈だ。とにかく探す」 「僕も探します!!」  七緒は社長と共にオフィスを出ると、保育園まで急いだ。

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