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第7話 保健室 -2-
(恋だと思う事で誤魔化しているけど、多分これはそんなものじゃないな)
達也は完璧じゃない。不完全だからこそ安心していた。彼への妬みは彼のコンプレックスを自分だけが把握し慰めてやる事で昇華していた。
だから今のように達也が弱っている姿を見るのは自分にとって安らぎを得る事と同じである筈なのだ。
そうである筈なのに、どうして今はこんなに腹立たしいのだろう。
(大体何で俺が達也をフォローしなきゃいけないんだ。劣等感の塊の俺が『良い』訳ないだろ。お前なんてモテなくて良いんだ。俺といるのが一番楽しいんだろ、なら俺だけいれば充分じゃないのかよ)
ぐるぐると濁り切った泥が腹の中で渦を巻く。
頭の中もぐちゃぐちゃだ。
「俺が何思ってるのかも知らねぇで適当な事言ってんじゃねぇよ!」
突然大声を出す和希に驚いた達也はきょとんと目を丸くする。
和希は震える拳をぎゅっと握り締めて睨みつけ、唇を噛んだ。
抑えろ、落ち着け、そう自分に言い聞かせる。
達也にこんな自分を受け止めてもらうつもりはない。自分勝手で、一方通行で良いのだ。
けれどもう一方では衝動のまま欲望のままに達也を掻き抱いて滅茶苦茶にしてしまいたいとも思う。
「どうしたんだよ和希。お前、何か悩みでもあんのか……?」
達也が戸惑いの目を向けて来る。
目はとろんと細く、息は上がっている。
(ああ、俺は本当にどうしようもない)
苦しそうな達也を前に和希はただただ衝動を抑えるのに必死だ。上気した真っ赤な頬も、水分の多い瞳も、汗ばんだ肌も、すべてが誘惑の材料でしかない。
(最低は俺の方か)
もう分からなくなってしまった。
大事な親友の筈だった。なのに、本当に大切にしたいと思っているのか分からない。
達也の事が好きなのかも、分からない。
自分を正当化する為に彼の親友という立場を守り、恋だなんて淡く甘酸っぱい言葉に置き換えていただけなのではないか。
そんなの、あまりにも滑稽じゃないか。
「――ッ、すま、」
息が上がる。不規則な呼吸。じわりと浮かぶ脂汗。
居ても立ってもいられず椅子を立ち上がり出て行こうとすると、突然制服の裾を掴まれた。
だるいだろうによく瞬時に身体が動いたものだ。達也は上半身を起こし、和希の制服の裾を強く握り締めたまま苦しそうに顔を顰める。
「待てよ、お前変だぞ。何なんだよ、言いたい事があるなら言えよ。いつも大人ぶりやがって、俺は散々自分の情けねーとこ見せてんだからお前も見せろよ。そんで俺に不満があるなら怒らないから言え」
頼むよ、と達也は項垂れながらも和希の制服を掴む手を緩めない。
「俺達、親友じゃねーのかよ」
掴まれた達也の手に触れると、その手は力を緩めて和希の手に絡まる。
胸が締め付けられる。
「達也……」
何故かは分からないけれど今すぐ達也を抱き締めたい衝動に駆られて熱く火照った達也の身体を抱き締めた。
きつく、きつく腕に力を込める。
達也はもう意識が朦朧としているのかされるがままじっとしていたが、それでも気だるげに腕を持ち上げぽんぽんと和希の背中を撫でた。
「達也、ごめんな」
「なん……やまんなよ」
達也をベッドに寝かせ髪を掻き分ける。達也は目を閉じたまま小さく笑う。和希はそんな達也を見て目を細め、苦笑いを零した。
「俺の中には、多分お前にとって『良い俺』と『悪い俺』がいるんだ。お前が口先で許したって、どうせ後で後悔するのはお前なんだぞ」
「……? な、に」
達也はやはり分かっていないのか、それとも意識が遠のいてるのか不思議そうな顔をする。
達也が碌に判断出来ない状況なのにかこつけて話を進める自分はやはり性格が悪いなと思った。
けれど、こうでもしないと進めない。
諦める事だって出来ない。
「言いたい事があるなら言えって、言ったのはお前だからな」
そう言って眼鏡を外すと、達也の薄い唇がひくりと動いた。擦れた声で何かを紡ぐ達也に、和希は何だろうと耳を澄ませる。
「後悔なんて、しない。だから、ちゃんと……お前の事、分からせろよ」
吐息と共に気だるげに紡がれる甘い言葉。
息が止まるかと思った。
「お前って奴は……」
はあ、と項垂れる。
項垂れて、そしてゆっくり顔を上げて。
「もう、知らないからな」
熱い、熱過ぎる程の唇に自分のそれを重ねた。
「ん……ぅ、」
上擦った達也の甘い声。
覆い被さるように達也の頭の隣に手をついて、もう片方の手で火照った頬や首筋をなぞる。
思えば寝込みのキスすらした事はなかったのだからよく耐えてきたと思う。初めて触れる達也の唇は薄くて柔らかく、抵抗する気力がないのか舌を差し込むと簡単に奥へと入り込めた。
「かン、……ふぁ」
苦しそうな達也の声を聞きながらその熱い口の中を記憶に刻みつけるように味わう。
唇を舐り名残惜しげに口を離す。本当はずっとこの唇を貪っていたいけれど、そんな事をしたらきっと止まれなくなる。
キスをされている間、達也は抵抗らしい抵抗をしなかった。そんな気も起きない位身体も辛いのかもしれない。
状況を飲み込めず呆然としているのだろうか。それとも急にこんな事をした和希に腹を立てているのだろうか。
あるいは、軽蔑しただろうか。
そう思いながら視線を上げていく。達也の白い首筋、濡れた唇、すっと通った鼻。
どきりとした。
色素の薄いその瞳は、呆気に取られるのでも怒るのでも、ましてや軽蔑するのでもなくただじっと真っ直ぐ和希を見ていた。
縫い止められたようにその大きな瞳から視線が外せなくて。
「お前が、欲しいんだ」
ぽろりと独り言のようにそれは零れる。
「『親友』じゃ、足りない。『恋人』じゃなくたっていいから、もっとお前を俺にくれよ」
淡々と紡がれるそれはぽろぽろと零れては足元を埋めていく。
塞き止められていた想いが溢れて止まらない。
「好きって、言っていいのかな。俺、自分がこんなに面倒な奴だなんて思わなかった。でも俺、多分、自分が思ってる以上にお前の事が……」
これは、駄目だ。
どんどん溢れていく。
「好きなんだ。……達也」
目を閉じた達也の顔を包み込み縋るように額を擦りつける。
手が震える。
ぽろぽろと溢れる言葉で身動きが取れない。
これではあっという間に達也を飲み込んでしまう。
そうして息を奪う。
和希の重さに、果たして達也は堪えられるのだろうか。
涙は流れない。
けれど、心臓は細い糸で縛り付けられたかのように苦しかった。
糸は肉を裂く寸前で留まっている。
糸が緩まるのも締まるのも自分達次第。
自分はサディストの気があると思っていたけれど、これではまるで逆だなと和希はひっそりと嗤った。
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