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《逃避行 第Ⅱ章》過ちの果て

零戦が急旋回した。 「全部は無理だ。一機だけおびき寄せる。そいつを落とせ」 「分かったよ、昌彦」 オペレーションノーマル エアスピード上昇 零戦が、暗雲の如く空を埋める敵機の渦を目指す。 「昌彦!今すぐ引き返せ」 「黙って見てろ」 俺の声は昌彦に届かない。 操縦桿を倒した。 狙い通り 戦功にはやった敵機が一機、向かってくる。 グワン 主翼が風を切る。 「唯、そのボタンが機銃だ。押せ!」 「押すなッ!」 気圧(けお)された唯が迷った一瞬、爆撃の機を逸した。 敵機とニアミスする。 グオン 操縦桿を引く。 上空を取られた。 敵機の機銃が火を噴いた。 機体が傾く。 「当たらなければ、どうという事はないッ」 主翼を傾けたまま、敵機下方をくぐる。影を出た。 陽に向かって昇る。 「今度はこっちの番だァッ!」 敵機上空を取った。 「ッ()ェ!」 「やめろッ!」 機銃のボタンから唯の手を振り払った。 「湊!邪魔するなッ」 「お前こそ!なに考えてるんだッ、まだ子供だぞッ」 「爆弾は民間人を避けて落としてくれない。女子供も老人も関係なく殺す。 それが戦争だ。 俺達の生きている世界は戦争してるんだ」 だからといって 戦争に…… 「唯を巻き込むなァッ」 グオォォン 旋回した銀翼が上昇する。 「もう巻き込まれてるんだ」 俺達は、逃げる自由さえ奪われて 「希望なんてない…… 夢も叶えられない。こんな小さな子の夢さえ壊してしまう。戦争ってヤツは」 俺が叶えてやれるのは…… 「敵機を落として、母親の仇を討たせてやる事くらいなんだよ!」 太陽を隠した零戦が制空権を取る。 「唯に人殺しをさせる気かッ!昌彦ッ」 「撃たずに後悔し、心を死なせて、 過去に囚われて生きるのと、どっちがいいッ!」 「撃てば心は生きるのかッ」 命を殺す事で、人は生きるのか 命を殺さなければ、人は生きられないのか 「撃たなくても生きる道はある筈だァァッ!!」 ボタンを押すな! 「唯、お母さんが」 「うるさいッ。湊さんに母さんの何が分かるの!」 小さな手が。 機銃のボタンに指をかけた。 「俺には分からない」 どんな言葉をかけたって嘘になる。 俺には分からない。 「お前だけなんだよ、お母さんと話ができるのはッ」 唯! 「お前のここ……」 胸の奥、鼓動にそっと手を当てた。 「心の中のお母さんと話しろよ。お前だけなんだ。お母さんの声が聞こえるのはッ」 世界に一人だけ 母も子も たった一人 替わりはいない 「お母さんが笑ってんなら、ボタン押せェッ!」 撃て 「敵機を殺せェェーッ!」 「ウワアァァアアーッ」 ズガガガガァッ 銃弾の光が空を駆けた。 機銃のボタンを押したのは、昌彦だ。 コックピットの床に倒れた唯を抱きしめる。 唯は泣いている。 俺も泣いている。 防弾板を備えた米軍機は、被弾しても墜ちなかった。 機動力で勝る零戦が戦闘域から離れると、もう追っては来なかった。

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