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第8話

BARはオフィスビルの裏口から外に出て、真っ直ぐ行き止まりまで歩いたところにあった。 店の前に「BAR」と書かれた小さな看板があり、「本日貸切」という札がぶら下がっている。 彰彦は午後6時、予約した時間通りにBARの入り口を開けて内側に入り込んだ。 店内にはカウンター席が5つ、テーブル席が10卓ほどある。 まあこのBARのオーナーである村田信二が一人で切り盛りするには、妥当な規模だろう。 「久しぶりだな、村田」 彰彦はカウンターに歩み寄りながら、旧友の顔をじっと見つめる。 「ちょっとぉ、源氏名の方で呼んでくれない?詩織よ、し・お・り」 ああ、そうだった。 村田は本名で呼ばれるのが嫌いだったなと、彰彦はすかさず思い出す。 「すまない、詩織。今日は折り入って頼みたいことがある」 「なぁに?」 詩織は源氏名の方で呼んでもらえたことが嬉しいようで、にっこり微笑んでいる。 不思議なもので、詩織はそこいらにいる男共と何ら変わらない容貌でありながら、女に見える。 それは彼自身が「女であるために」丁寧にメイクをしているせいであり、日頃のケアに手抜きをしていないからだと理解できた。 「とりあえず、何か飲む?」 「ああ、じゃあ……ウォッカのロックを」 「いつも同じね。ま、いいわ。ちょっと待ってて」 鞄をカウンターのスツールに置いて、彰彦はその隣に座る。 カウンターに肘を突いて両手を組みそこに顎を乗せると、詩織は「すぐにできるから」と言ってウィンクまでしてくれた。 カウンターの上をウォッカの入ったグラスが滑ってくる。 彰彦は詩織にも1杯同じものを奢り、2人でグラスを合わせた。 「で、頼みたいことって何かしら?」 詩織は前置きも何もなく、切り出してきた。 世間話の一つもしないところが、彰彦にとってはありがたい。 「まずはこの写真を見てくれ」 彰彦は鞄にしのばせていたマオの写真を取り出すと、詩織に向かって差し出した。 詩織はそれを受け取り、じっと見つめる。 「キレイな子ね。男の子?それとも女の子?」 「男だ。名を結城マオという。貧困層の出で、今俺の家の使用人をしている」 「へぇ。それで、この子がどうかした?」 「過去を調べて欲しい。生まれてから、俺の家に来る5年前まで」 「難しいお願いごとね」と詩織は写真を見たり、ウォッカをあおったりしている。 実は詩織も貧困層の出だ。 ずっと辛い思いをしながら富裕層の下で働き、日銭を貯金して独立し、店を構えたという経歴の持ち主なのであった。

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