29 / 35

第29話

マオはコーヒーと軽食で小腹を満たすと、喫茶店を出て、賑わいを見せる街中へと出た。大通りにはいつもマオが買い物に来る商店街があり、主婦と思しき人々が店頭の品物を物色している。 「ここへ来る理由も、もうなくなった……」 いっそ国外へ行ってしまおうか。 絶対に結ばれない人を好きになって苦しい思いをするくらいなら、どこか遠くへ行ってしまいたい。 だがマオはパスポートを持っていない。 パスポート自体、住民情報がなければ作れない。 住民情報を持つのは富裕層のみで、貧困層にはそんなものはない。 要するに、国外に出たくても出られないのだ。 難民となって出て行く者もいるというが、マオはそこまでしてどこかへ亡命したいとは考えていない。 一つの可能性が潰えたなと思いつつ歩いていると、肩がドン──、と誰かの肩にぶつかった。 「あ、すみません」 「どこ見て歩いてんだ、コラァ!?」 その瞬間、マオは硬直した。 忘れたくても忘れられない、記憶の底にこびりついたやかましい声。 少し歩いて振り向けば、その男は相変わらず顎に髭を蓄えている。 少し顎髭に白いものが混じっているのは、加齢のせいだろう。 「おお、マオじゃねーか!お前、今いくつになったんだ?」 前のご主人様──、榊はマオを見ると破顔して歩み寄ってきた。 気持ち悪い、近寄るな。 「成人しました」 「へぇ……んで、今はどこに仕えてんだ?」 余計なお世話だ。 お前にそんなことを教える義理はない。 「なぁ、どこにも仕えてねーってんなら、また俺んとこに来いよ、可愛がってやるぜ」 腕を取られると、マオはすかさず身を捩るが、もう遅かった。 剛力な男に力で敵うはずもなく、ズルズルと引っ張られてしまう。 「放せ……放せよっ!」 「お前、誰に向かって口利いてんだ?『放してください、ご主人様』だろ?」 「お前なんか……もうご主人様じゃない!」 「ほう、言うじゃねぇか。んじゃ、ここでヤってやろうか?」 「!?」 何を考えているのだろうと思う前に、榊は表情が奇妙だった。 目が垂れ下がっていて、口元に締まりがなく、まるで薬漬けにでもなっているように見える。 が、今はそんなことを観察している場合ではない。 マオは榊に路上でのしかかられ、服をビリビリに切り裂かれながら、何とか逃れようともがいている。 力の差は歴然だが、榊とて全く隙を作らない訳ではないだろう。 だから隙を見せたらそれを突いて逃げ出す気で、抗いながら観察する。 「やめろって言ってんだろ!?」

ともだちにシェアしよう!