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第8話
運命の番と出会い、うなじに番の痕を残す。それで幸せなのは、相思相愛の場合だけ。お互いに何の感情も持たない二人が、番になっても、待っているのは、絶望ーー。
「おいっ! 翔太! 大丈夫か?」
玄関ホールで倒れている翔太を心配し、起こそうと必死なのは治也だ。
「……兄さん……え、……ここ……」
高熱で朦朧としていて、目の焦点がなかなか合わない。
呻きながら重い上肢を起こし、それから立ち上がろうとして、失敗した。力が入らない。
「二階に上がるのも辛いだろうから、とりあえずリビングのソファーで寝ておけ」
なかなか立ち上がれない自分に、治也が手を差し伸べる。
違和感があった。
シャツのボタンを掛け違えたような、小さな違和感。
治也はいつも通り、何も変わらない。
優斗の気配も、匂いも、何も感じない。
この場所に優斗はいない。
優斗と交わったのは、すべて熱に浮かされて見た幻覚だったのか?
「せっかく誕生日に優斗に手作りのケーキを頼んでおいたのに。優斗も急用で来れなくなったっていうし、翔太は熱出してるし、サプライズも不発に終わったな」
「……芹沢さん、来れないって?」
優斗が家に来ていないのなら、やはり、さっきのは幻覚だ。都合の悪い真実を、翔太の脳は自分の都合の良い方に解釈した。
「あぁ。ついさっきメールが入って。俺が家に着くちょっと前かな。……悪いけど、俺帰るわ。急用ってもしかしたら何かあったのかもしれない。翔太は父さんが帰ってきたらちゃんと診てもらえよ。夏風邪かもしれないし」
翔太は治也の優しさに、小さく頷いた。
翌日、血相を変えて兄が帰宅した。
「優斗、来てないよな!」
リビングの扉を勢いよく開けると、開口一番に恋人の存在を尋ねた。
「優斗が、昨日から家に帰って来ない……。さっき職場に言ったら、昨日長期休暇の申請がされていたみたいで……。付き合ってから今まで俺に何も言わずどこかに行くなんて、一度もなかったのに……」
大人 が一日家に帰って来ないだけで、兄はかなり取り乱していた。
「実家に帰ってるとか……」
「優斗は……優斗に親はいない。へその緒がついた状態で、施設の前に捨てられていて……そるから就職するまでずっと施設で育ったそうだ。オメガを引き取ってくれる家族は、いなかったらしい……」
翔太は口を噤む。
「けど俺は優斗がオメガでよかったと思っている。オメガじゃないと、俺 とは番になれないからな」
押し黙った翔太に、焦りの色が隠せないながらも、治也は笑顔を向けた。
「悪かったな。他をあたってみる」
兄は嵐のように去っていった。
その頃、優斗はある人物の自宅にいた。
「ごめんね。いっちゃん……。仕事忙しいのに、突然押しかけて……。頼れるの、いっちゃんだけだから……」
いっちゃんと呼ばれた男は、首を横に振る。
「謝らなくていいよ。優が好きなだけ、ここにいていいから」
男は、優斗のうなじのガーゼを取ると、くっきりと残った痕をオキシドールで消毒を始めた。
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