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第43話

 有馬は初めこそ恐怖から涙を溜めていたものの、学校で起こった騒動の仔細を話し終えると、自宅まで送るという翔太に甘えることなく、一人で帰路に就いた。  学校のトイレで駆け込んで来た発情したオメガの生徒に、運悪く遭遇してしまった。そのオメガの匂いにあてられ、欲情しかけたところに、誰かが近づいてくるのを感じ、オメガの生徒を個室に押し込み、自分も別の個室に隠れようとした時、琉生が来てしまったらしい。そして琉生にオメガと勘違いされ、抵抗したところトイレの個室出口の金具にワイシャツの袖が引っかかり、琉生と揉み合いながらも一刻も早く逃げるために、無理矢理外そうとして傷を負ったということだった。  琉生からの暴行などで負った傷ではないことに、少し安堵したが、先程の琉生が発した不穏な科白が翔太はずっと引っかかっていた。 --危害が及ぶのが自分自身じゃなく、番の相手だったらどうするのか見物ですね。 「いっちゃんに子供!?」  初耳のようで、優斗は文字通り開いた口が塞がらないようだった。 「うちの一年に、本城琉生という生徒がいます。その彼が本城医師の子供の可能性があります」 「え……そんなに大きな子が……そんなことって……あの時…………? いや、まさか……」  優斗が混乱した頭で、考えがまとまらないのか独白しながら、過去を振り返っているようだった。 「本人に確認してみよう!」  優斗の出した結論は意外とシンプルだった。考えても答えは出ない。当の本人に尋ねるのが一番手っ取り早いのだ。  しかし、優斗の電話に本城医師が応答することなく、溜め息を吐きながら、携帯の終話ボタンを押した。  同じ頃、本城斎は番の相手である本城司とマンションで会っていた。  正確にいうと、司が斎のマンションを訪ねてきていた。 「久し振りだな。斎」 「もう五年も会ってないのに、今更何の用事ですか?」  司は首筋をするりと撫で、古い噛み痕に唇を落とす。  全身にビリビリと電流が走ったような感覚に、力が抜けた斎を司が抱き止める。 「お前が変な気を起こしているかもしれないと思って、これでも心配して急いで帰ってきたんだよ」 「変な気?」  身体を離しながら、訝しげな表情で司を見上げる。 「……オメガからの番解消。知らないとでも思った? 海外で珍しく新薬のことで日本のニュースが取り沙汰されていたからね」 「…………」  だんまりを決め込む斎に、不穏な空気を感じたのか、司は話を続ける。 「息子のことを、忘れた訳じゃないよね?」 「…………っ」  斎は思わず目をそらし、顔を伏せた。その反応に司の表情が歪む。 「……そうか、斎は俺と番を解消したいのか。わかった。それなら、いいよ。番を解消してあげても」 「え!」  叶わないと思っていた番解消の提案に、斎は顔を上げると、司の瞳を直視した。 「……その代わり、そうだな……次の番は、うちの店で働いている芹沢くんにしよう」 「!!」 「薬が実用化されたら、彼にはすぐに今の番との関係を解消させよう。そしたら何の障害もない」  斎にとってのアキレス腱。番である司は熟知していた。  優斗を司がオーナーを務めるレストランに、パティシエとして採用して欲しいと頭を下げたのは他でもない斎だ。  製菓の専門学校を出た優斗は、オメガだというのを理由に何社も不採用になり意気消沈していた。それを見かねた斎が、司に頼み込んだのだ。勿論優斗はその事を知らないし、今後も伝えるつもりはない。そして、オーナーが斎の番だということも。 「お前はもういらない。今ここで、お前との番を解消する。薬が実用化されるまで、発情期で苦しめばいい」  いつもより数段低い司の声が響いた。司は誰の目にも明らかなぐらいに激昂していた。 「琉生は、俺が育てるよ。今のお前に親を名乗る資格はない」  浴びせられた言葉は、真冬に冷水を頭から被ったように、斎の身体を芯まで凍えさせた。

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