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第29話
亘理は今まで、何度か、黒木の夢を見てきた。
1回目は視界を奪われて、無理矢理射精させられた。2回目は小さな鋏と電気マッサージで責められた。
そして、3回目。黒木かどうかは分からないが、黒木に似ている青年が老紳士と親しげに話している夢だった。
「あ……」
亘理は酒を飲んだ翌日に襲ってくる軽い倦怠感に似たものを感じた。
ただ、それでも身体を起こせないほどではない。亘理は身体を起こすと、ぼんやりとした視線を部屋中に張り巡らせる。
見慣れない場所のようだ。いや、正確には亘理は似たような場所は知っているが、おそらく、初めて入っただろう場所だった。
「くろきさんの、みせ?」
亘理は思ったより声が掠れているのに驚くと、咳をしたり、声を出したりして整える。そして、何とかマシになると、横になっていたベッド以外に目を向けた。
質素な作りのクローゼットに、机くらいしかない一室は、とてもマフィアのドンが寛いでいる部屋を思わせるような黒木屋の雰囲気とは似ても似つかない。
しかし、ここが黒木屋だと思ったのは何の変哲もない机の上に置かれた珈琲メーカーから漂う匂いだった。
「珈琲?」
亘理は机まで近寄ってみると、見覚えのあるプレートに同じ様に見覚えのある珈琲のカップにシュガースプーンを添えたシュガーポット等が置かれてあった。
だが、亘理の目はプレートの端に置かれている2つ折りにされた便箋を見つけると、それ以外は映さなくなってしまった。
「手紙だ」
その言葉自体に意味はないが、亘理はカップに珈琲を注ぐ事もせずに手に取った文面に目を落とす。
『亘理さんへ
昨日は申し訳ありませんでした。自分の所為で亘理さんへご迷惑をかけてしまいました。何をどのように詫びても詫びきる事はできないと思います。
服は洗濯をして……』
「あ、服……」
亘理は文字を追うのを一時、追うのをやめて、自分の腕や身体に目を向ける。
着ていたのは少し大きめの白鷺のワイシャツに若者にしてはやや渋いフレンチベージュのチノ・パンツだった。
多分、ワイシャツは黒木のもので、チノパンは慶喜氏のものではないかと亘理は感じた。
自分の意思では服を着る事ができなかった自分に代わって、黒木が着せてくれた……いや、それだけではない。あの夏場に感じる汗が服の生地に密着するような嫌な感覚もない事から黒木は亘理の身体も清めてから服を着せてくれたのだろうと思った。
媚薬で精液も意識も飛ばしていた亘理には推測するしかなかったが……。
『服は洗濯して、貴方をいつもの美容室の隣の部屋へ運ばせていただきました。洗濯した服はクローゼットに入っています』
手紙の通り、亘理が着ていた服はネクタイやスタッズベルトの1つ欠かす事なく、質素な作りのクローゼットに入っていた。
綺麗にプレスされた淡めのオリーブドラブを思わせるシャツへ袖を通し、ダークグレーのスニキージーンズを履く。
亘理はいつもと同じように着ると、今まで着ていた服を丁寧に畳み、ベッドの端の方へ置く。そのまま、亘理の服がかかっていたハンガーにかけるという事もできたが、洗い立てものをかけてあったハンガーにかけるのは気が引けた。
それから、亘理は手紙の最後の文章に目で追った。
『珈琲は保温したもので、味は少し落ちてしまいますが、よろしければ、召し上がってください。亘理さんのお邪魔にならないように自分は隣の部屋にいます。何かあれば、お声をかけてやってください。
本当にすみませんでした。
黒木敬輔』
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