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第33話
多分。
目を大きく見開いていなければ、亘理は泣いていただろう。
しかも、1筋、2筋では止められそうにない大粒の涙を零して、年甲斐もなく、声も上げながら泣いてしまったかも知れない。
しかし、そんな姿はきっと黒木を困惑させてしまうと亘理は破れかけのものを繕うように声を出した。
「黒木さん」
「はい」
「俺は……慶喜さんには敵いません」
きっと黒木さんは『敬愛』と『恋愛感情』を一緒にしてしまっているだけです。
そして、慶喜さんがいたその場所へ俺を当てはめようとしているだけなんです。
と、亘理は言葉を続けようとしたが、まるで、話し方を忘れてしまったかのようにその続きは言えなかった。
当然と言えば、当然ではあるが、無言になってしまった亘理の代わりに黒木が口を開く。
「何故、そこにドンが出てくるのでしょう?」
黒木にしてみれば、慶喜氏が突然、話の中へ登場したのは理解できない事だった。
ただ、亘理は知ってしまっていた。写真の表に写る慶喜氏はいつも穏やかな表情で黒木を見つめていた事。写真の裏にも認めた愛情を黒木へ注いでいた事。古い知人の言葉もそれを裏づけていて、裏切っていなかった事もだ。
「李さん、から聞きました」
「え……」
「慶喜さんは癌で亡くなったと……。治療もすれば、助かったけど、最期まで貴方に髪をカットしてもらうんだと治療は受けなかったそうです」
黒木の疑問の声を無視して、そこまでを声に出してしまうと、亘理は一呼吸おいた。
もうここへは来られない。もう黒木にも会う事はできない。
亘理は黒木の申し出を断れなかった、それもあるが、今まで、それが自分の幸せだった事を今、はっきりと自覚した。それは曖昧にしていて、気づくのが遅すぎた自覚だった。それに伴う行き場のない苛立ちも募ってくる。
だからか、亘理の口調も投げやりになってしまう。
「それだけじゃないです。彼は貴方を最期まで気にかけていた。貴方の大事に思う人が自分で最後ではないようにって……自分が明日、死んでしまうかも知れないのに……」
いつもの亘理ならこんな風に一時的な感情にものを言ったりはしなかった。
しかも、黒木にとって慶喜氏は今でも大事な人物だ。
こんな風に自分の嫌な感情をひた隠して、それでも、隠し切れなくなった感情を単語の節々に滲ませて、彼らも自分自身も貶める事などしなかった。
「亘理……さん……」
「そんな人に勝てるわけないです。さっき、慶喜さんの代わりに慕っているだけなんですよって言おうとしたけど、俺じゃあ慶喜さんの代わりにさえなれない。黒木さんが好きなのに……どうにもできなくて、どうしたら良いか、分からない!」
途中から亘理は呻くように叫んでいて、かつ、とんでもない事を口走っていたが、本人は気がつかなかった。気がつかなかったばかりか、力なく頭を垂れ、ぽつりと涙を零す。
あんなに涙を流して、黒木に迷惑をかけるのが嫌だったのに。たかだか失恋しただけじゃないかと思い直そうとするのに。
亘理はあまりの悔しさと悲しさで泣きやめなかった。
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