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第34話

このまま、涙で身体がどろどろと溶けて、その原型が跡形もなくなってしまえば良いのにと亘理が思う。その矢先…… 「えっ……」  亘理は太腿に乗せていたその手の甲に柔らかな感覚がした。  その感覚は決して、荒々しいものではないのに、触れられるだけで、脳内の酸素が少なくなって、亘理の心臓が音を立てて、壊れていくようだった。 「自分が恐いですか? 亘理さん」  初めて黒木屋を訪れた時、黒木にそう問われた亘理は何とか、言葉を繕って否定した。だが、今の自分にはできそうにないと思った。 「恐い……」 「恐い?」 「黒木さんが……慶喜さんの事を口にするのも、いつか俺なんかじゃなくて……他の誰かの方が好きになるのも恐い。誰よりも好きであって欲しいのに……恐くて堪らない」  鼻の詰まるような感じがして、息をするのが苦しい。言葉も亘理の口からつっかえるようにして出てくる。  言っているのは黒木にとって理不尽ともいえる事。そんな事は勿論、亘理には分かっていたが、もう言ってしまった事だった。  すると、亘理の手の甲に触れ、傍に控えるように床へ膝をついていた黒木は亘理の名前を呼んだ。 「亘理さん……」  もう1度、黒木によって亘理の名前が問いかけるように呼ばれる。  亘理は返事をすべきだと思いながらも、黒木の親指の方が先に動いた。 「拭くものが向こうにあるので、これでお許しください」  黒木の親指の腹が亘理の眦から流れていった涙を拭う。睫毛には触れないで、涙だけを消すように動くので、その亘理の顔の表面だけは泣く前と何ら変わりがなくなった。 「くろ……あっ」  涙が拭われ、亘理が「やめて欲しい」と黒木の名前を呼ぼうとすると、今度はさせないとばかりに唇を重ねられる。  重なる黒木の唇。それはいつも一文字のような形をしていて、美しいものだったが、今は艶めかしく歪んだ。

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