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第35話
「はぁ、ん……」
多分、時間にすると、あの美容椅子の向かいのバーへ無造作に置かれた砂時計が全部落ちないくらいの短い時間だった。
亘理はずるずるとアンティークのソファへ身を崩すと、黒木に覆い被されるように横たわっていた。
「うぅん……」
「ハァ……」
亘理が苦しげに息を継ぐと、黒木も熱を帯びた息を吐く。
なんて甘くて、エロい息の仕方をするんだろう。と亘理が思うのも束の間で、黒木の唇は亘理の口元から離れていく。
「本当は貴方が店を出ていきやすいように寝た振りをしていようと思っていました」
「黒木……さん……?」
「でも、亘理さんはもうここへは来てくださらないだろう。そう思ったら、体が勝手に貴方を引き留めていました。引き留めて……一生、思うだけで言わないと決めた貴方への気持ちを打ち明けていた。どうして、俺がそんな事をしたのか……分かりますか?」
初めて黒木と出会った時に亘理はまっすぐな視線を向けられた。
今の彼もまっすぐな目でその胸の下へ横になる亘理を見ているが、その印象は異なっているようだった。
「確かにドンには世話になりましたし、自分にとっては大きな存在です」
黒木の目は目力の強い、眼光の鋭い目だとばかり亘理は思っていた。
だが、今の亘理にとってはその目が前髪の影や黒木を見上げるようにしている事などから柔らかく見えた。
「ただ、貴方が……亘理さんが勝てない存在など俺は誰もいないと思っています」
「俺に……勝てる存在はいない……」
亘理がそれだけ口に出すと、黒木は「はい」と答える。
この目の前にいる、大好きな人を疑いたくはない。でも、疑問を残したままではいけないと亘理は心の中で呟くと、再び咽喉の奥から声を出す。
「俺は黒木さんが思う程、良い人間じゃないんです。偽善で貴方を助けたのかも知れない。打算で貴方を助けて自分がより好かれる為だったかも知れない」
すると、黒木の瞳は炎を燈したように熱いものになる。
ただ、その口から出たのは、その声を出した黒木の思いは
「はい。たとえ、貴方が偽善で、打算で……貴方が他の人間に好かれる為に……俺を助けてくれたとしても、です。貴方こそ俺が選ぶ、一番愛している方です」
ただただ温かかった。
黒木は亘理が自身を評した酷い言葉を熱い怒りと共に葬り去るように復唱すると、力強く、迷いのない気持ちを告げる。
それから、先程と同じ様に涙を零してしまった亘理の唇を奪う。
「もし、これでも、分かっていただけなければ、今すぐ、貴方を滅茶苦茶に抱いてしまいそうです」
昨日でさえ亘理さんを慰めるだけだと思って、努めましたから。今度はいくら貴方がやめてと叫んでも、やめて差し上げられそうにないですから、と黒木が笑う。
「すみません……俺……おれ……」
自分の事ばかりだった、とその瞬間、亘理は思った。自分の事ばかりで、黒木を傷つけてしまった、とも……。
「俺も……黒木さんみたいに伝えれば良かった……」
亘理は身体を覆うようにしていた黒木の肩へ腕を回すと、その胸に抱き寄せるようにする。黒木の目は亘理には見えていなかったが、黒木の耳から首元から鼓動を感じながら、言った。
「ありがとう。俺も黒木さんが一番好きだよ」
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