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第4話
ある小雨の昼下がりに
イギリス人ゲイ夫婦のとある日常の一コマ。
旦那のショーンと嫁のポール。
会計を済ませ店を出ると、ちょうど雨が振りだした。見るからに厚みのある灰色の雨雲に覆われたワンズワースの空は、小粒の涙を静かに流しているようで、何だかこちらも哀しく陰鬱となりそうだった。
ポールはそんな空を仰いで、やっぱりかと肩をすくめた。昼前に起床して、寝室のカーテンを開けた時からこうなることは予想できていた。日が昇っているのに薄暗い街並みはとっくの昔から見慣れているが、決して気持ちの良いものではない。あぁ、今日もかと胸のうちで小さなため息がこぼれることだってある。一体いつになったらシーツが干せるのか、と。
とまれ、自宅を出る前に、トートバッグに折りたたみの傘を入れておいて良かった。そう思いながらそれを取り出したところで、左隣から水滴のようなぽつりとした声が聞こえてきた。
「あ、傘持ってくるの忘れちゃった」
ポールはわずかに眉を寄せ、彼――ショーンを見上げた。自分より12センチほど背の高い夫もまた、じっとりとした雨空を見上げ、それから参ったなぁと言いたげに後頭部を掻き、口元に苦笑を滲ませていた。淡い色のダンガリーシャツに黒のデニム、ネイビーのシューズというラフな格好なのに、スタイルの良い二枚目が着ると嫌味なほどにお洒落に見える。彼が夏場の寝間着にしているよれよれの白Tシャツとダサいチェック柄のステテコも、だんだん「これはこれでありかも知れない」と思わせるから、つくづくイケメンとは恐ろしいと思う。
……いや、そんなことは今はどうでもいい。話が逸れた。傘を忘れたと言ったショーンはポールを見下ろすと、ほんの少し申し訳なさそうに笑い、こちらに身を寄せてくる。
「ごめん、傘は俺が持つから、入れてもらっていい?」
「え、あ……いい、けど」
やや逡巡しながらも承諾すると、ショーンは早速こちらから青い折りたたみ傘を取り、ぱっと開いた。右手で傘を持ち、さらに引っついてきた彼が無性に嬉しそうに「それじゃあ、帰ろうか」と言う。
同じく傘をさして往来する人々からの視線をわずかに感じ、居心地の悪さを覚えながらも、歩み出した足を止めることもできず、ショーンと寄り添って家路へと向かう。グリーン・デイの曲を上機嫌に口ずさみ、セクシーだけど優しいドルチェ・アンド・ガッバーナの香水の匂いを漂わせ、柔らかな体温を腕に伝えてくる彼の様子から察するに。ポールは眉間の皺を深くし、大きなため息をつく。
「……貴方さ」
「……んー?」
「さては、忘れたふりしてるだろ?」
針でチクリと刺すような声で訊いてみたが、ショーンは怯むことなく、依然楽しげだった。「いや、本当に忘れてたよ?」
「本当かなぁ……」
「ふふふ」
さらさらとパラパラの間くらいの雨音が、ふたりの頭上から落ち続けている。ランボーン・ロード沿いにある自宅までは歩いて10分。少し肌寒いと感じていたはずなのに、その間は身体が火照って仕方がなかった。
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