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第8話

2018年6月23日ワンドロ(15分オーバー) スコット夫妻 「思い出したくない」「ごまかしのキス」 ややすけべ、剃毛。 ショーン・スコットがグリーンデイの曲を口ずさむのは、決まって機嫌がすこぶる良い時だった。 美味しい酒を飲んでいる時、休みの日にドライブする時、バラ・マーケットで鮮度が良くて価格も手頃な野菜を買えた時、リビングのソファーでコーヒーを飲みながら、海外の特異な症例の医学論文に目を通している時……。 そして、浴室で夫であるポール・スコットの局部に生えた体毛を、剃刀で丁寧に剃っている今この時だ。 明るいラブソングを、調子が外れているのを気にすることなく歌いながら、ショーンは壁にもたれて立っているポールの前にしゃがみ、剃毛用のクリームをべたべたに塗ったそこに刃を滑らせている。 天は二物も三物も与えることはない。ショーンは美形で高身長で、知的で人柄も良いが、歌はそれほど上手くはなかった。幼い頃から10年以上ピアノを習い、音感には自信のあるポールは、下半身がむずむずする感覚や剃刀の軽快な音に耐えながらも、「今のところ、半音低かった」とか、「その音、高すぎる」などと彼を指摘しようかと思ったが、陰険だったのでやめた。かわりに、頭のなかでショパンのエチュードを順番に流していくことにした。 ショーンとは週に一度、互いの陰部を清潔にし合っていた。 今夜はポールが先にショーンの世話をし、彼のそこは更地になっていた。体毛は濃いが、定期的に処理をしているため、毎回すぐに済む。いや、努めて済ませていた。もう何度となくやってきたことだが、未だに恥ずかしいのだ。 対するショーンはいつも、いつも、いつも、こうして微妙にチューンがずれた歌を愉しげに歌って、くどいくらいにポールの薄い毛を剃っていた。それがこちらの羞恥心を煽ってくるので、非常に困る。付き合って、肌を重ねるようになってからの習慣ではあったが、ポールがいくら拒んでも聞く耳を持たなかった、ショーンの強引さによる結果だった。 「――今日もかわいかったよ」 歌を中断し、けれども歌うようにショーンは言った。その間も彼の手は動き続ける。 「どうして君は、そんなにかわいいんだろうね」 「……そういうの、ほんっとうにいいから」 ポールは語気を固くして言い、かぶりを振る。ちょうど頭の中では《蝶々》が流れ始めた。空気の読めない選曲に、自分自身に苛立った。 「今日はいつもより積極的だった」 ショーンがちらりとこちらを見上げ、甘ったるい笑みを浮かべてくる。「いつも、あれくらいねだってくれて、いいんだよ?」 「思い出したくない」 ポールは素っ気なく言って、そっぽを向いた。「それより、早く終わらせてくれ」 「待ってね、今から陰嚢のあたりを綺麗にするから」 「……そんな場所に生えてないだろ」 「と思うでしょ?」 ……恥ずかしさのあまり、気を失いそうだ。失ってしまった方が幸せだ。けれども簡単にそうなれるわけもなく、顔を赤くすることしかできなかった。 時刻は深夜の2時を回ったくらいだろうか。日付が変わるちょっと前から寝室にこもって、ショーンとああでもないこうでもないとしている最中、つい夢中になってしまい、はしたないことを口にしていた……のだと思う。あまり覚えていないし、繰り返しになるが思い出したくない。 そして現在進行形でまたひとつ、思い出したくない出来事がポールの記憶の中にしまわれようとしていた。 剃刀で傷つけないように、優しく丁寧に処理してくれるのは良いが、理性がある状況で間近で一物を見られ続けるのは、あまりにも居た堪れない。頭の中の音楽を最大音量で流して意識をそちらに向けようとするも、ショーンの芯のある低音が、その中にするりと入り込んでくる。 「――うん、綺麗になった。洗い流そうね」 ポールは何も言わなかった。早く終わってくれと強く念じながら、シャワーを浴びた。……毎度のことではあるが、下半身から体毛がさっぱりなくなるこの瞬間は、なぜか背筋にぞくぞくとしたものが走る。意思に反して快感を覚える浅ましい肉体に、ポールはいつも嫌気がさしていた。 シャワーが止まり、ショーンがゆっくりと立ち上がった。そして両腕でポールを抱きしめ、つるつるになったそこを押しつけてくる。 「……ばか」 「んー?」 「ほんとやだ」 先刻の情事で体力を消耗し、さらには脳内で《雨垂れ》が演奏されていることもあって、急激な眠気に襲われていた。舌足らずに子どものような悪態を吐くポールに、ショーンがくすくすと笑った。 「恥ずかしがる君も素敵だよ」 「そういうことをさらっと言う貴方は、全然かわいくないし、すてきでもない……」 唇を尖らせたポールを、ショーンは軽々と抱きかかえた。彼の逞しい腕で身体を支えられた瞬間、ときめきを覚えないこともなかったが、それを誤魔化すようにショーンの首筋を吸血鬼のごとくキスをした。 「いたっ」と小さな悲鳴が耳元で聞こえ、ポールはひとりふふんと満足した。

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