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第一章 2
霧桐は弾かれたように顔を上げる。
「え? あ、いや……それだけ、じゃなくて……その……よかったらお付き合い、して欲しい……かなぁ、と……」
しどろもどろに、そう口にする。只でさえ真っ赤だった顔色が、熟れたトマトのようになってしまい、熱を持っていた。
熱い頬を俯かせたままの霧桐の様子を見て、愛沢がクスリ、と笑う気配がした。
――ああ、やっぱりダメだったのかも……。
勝手に結論付けて落ち込む霧桐の目の前で、愛沢が僅かに空気を吸い込む音がした。
そうして、――――
「いいよ」
と、短い一言が帰ってきたのだ。
「ですよね……、俺なんかと付き合ってくれるわけが……って、え?」
霧桐は、そこまで言ってバッ、と勢い良く顔を上げる。
――今、目の前の彼は何と言ったのだろうか?
――まさか、愛沢に恋焦がれすぎて、霧桐にとって都合のよい返事を脳内が勝手に想像して、聞えたような気になってしまっているのだろうか?
霧桐が様々な可能性を頭の中で巡らせていると、再び愛沢が口を開いた。
「俺、いいよ、って言ったんだけど」
淡々とそう言って、愛沢はまた、くぁ、と欠伸をする。早く帰りたい、といった雰囲気が顔やトントン、と一定のリズムで腕を打つ指先から滲んでいたのだが、霧桐の頭の中は愛沢からの返事で一杯になってしまっていた。
「う、嘘……」
夢か何かでも見ているのだろうか、と霧桐の左手の指が自分の頬に伸びる。
握っていたはずの箒が音を立てて床に転がる前に、愛沢の手によって拾われた。
霧桐が自身の頬をぎゅっ、と加減なくつねる。と、確かにひりひりした痛みが霧桐を襲う。どうやらこれは夢でも何でもなく、紛れもない現実のようだ。
しかし、現実だと理解しても尚、霧桐は呆けたように愛沢の顔を見たまま自分の頬をつねり続けていた。
呆け顔の霧桐を見ながら、愛沢は退屈そうに手の中の箒の柄を右手に、左手にと交互に持ち替える。
「嘘にして欲しいなら、撤回するけど?」
「い、いえ、撤回しないで結構ですっ!!」
霧桐は即座に首を横に振った。相変わらず指先は頬をつねったままなのだが、それすらも忘れていた。
「なら、俺は帰るね。ああ、いつもみたいに戸締りよろしく」
そう言って、愛沢が霧桐に箒を突き返す。放心状態の霧桐の右手に半ば無理矢理箒を持たせた愛沢は、そうして、じゃ、と手を上げ、今しがた告白された者とはとても思えない淡々とした態度で店を出て行ってしまった。
ぽつん、と店内に残された霧桐はまだ夢心地のまま。愛沢に突き返された箒の柄を、折れるのではないかと心配になるほどの強さで握り締めていた。
――これは、夢なのだろうか?
いやしかし、つねったままの頬からは今も絶えず痛みが走り続けている。
――って、ことは……夢じゃない?
愛沢が帰宅してから、約五分。時間をかけ、ようやく告白によい返事がもらえたのだと理解した霧桐の手の中から、箒が転がり落ち床とぶつかり騒々しい音を立てた。
普段ならば、深夜という時間帯もあって近隣のことを心配して騒音は極力立てないように努める霧桐ではある。しかし、今だけはそんなことを気にしている余裕などまったくなかった。
喜びが全身を満たし、うずうずとした気持ちが霧桐の腹の底から込み上げる。頬をつねっていたはずの左手も、箒を取り落とした右手も等しく拳を握り歓喜に震えていた。
「ッ――――ぃ、よっしゃああああああ!!」
深夜帯であることすら忘れ、霧桐は右拳を高々と天井に向け突き上げ叫ぶ。
先ほどまでの懐疑的な気持ちは、霧桐の胸の中から跡形もなく消し飛んでしまっていた。
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