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第二章 相思相愛には程遠い 1

「愛沢さん、次私にオリジナルカクテル作ってください」 「あ、ずるい!! あたしも作って欲しいのに」 「私も!! 甘めのがいいなぁ」 「大丈夫。ちゃんと、三人にぴったりなの作ってあげるから」  きゃいきゃいと若い女性三人の黄色い声と、接客用の愛沢の猫撫で声が隣から聞えてくる中。霧桐は、沈んだ表情で黙々とグラスを磨いていた。時計を見ると現在は午後十時を回ったあたりで、霧桐のいるここはリーベ店内のカウンターの中。仕事の真っ最中である。  あの後、愛沢は本当に女性の下に行っていたらしく。開店三十分前に店にやって来た愛沢の項や首元には女性との情事を匂わせるような引っかき傷やキスマークがついていて。黒色のコートからは、胸焼けがするような甘ったるい香水の匂いが漂っていた。  それだけでも霧桐の胸の内を嫉妬の炎が焦がすのに。開店と同時に入れ替わり立ち替わりやってくる女性客達に甘い声で接客する愛沢の姿を隣で三時間以上も見せられ続けたら、嫉妬も怒りも通り越し、落ち込むのも仕方のないことだった。  今は接客中で、辛気臭い顔をしていてはいけないと思うものの、霧桐の気分は上向きにはならない。  どれだけカクテルグラスを拭いてみても、心なしか曇って見える気がするのは霧桐のちっとも上向きにならない気分のせいが大きいだろう。 「ちょっと、唯ちゃん。辛気臭い顔やめてよ。折角イケメンなんだから、シャキっとしなさいシャキッと」  やけにハスキーな、というよりは野太い声が聞こえ、霧桐は手元のグラスから顔を上げる。と、カウンター越し。霧桐の対面にやたらと体格のいい派手な化粧の女性(?)が、赤く塗られた爪先を霧桐に突き付けていた。 「綾華(りょうか)さん……」  霧桐は力ない声で彼女の名前を呼んだ。  綾華は、本名は明神 遼太郎(みょうじん りょうたろう)と言って、歴とした男性である。彫りの深い顔立ちに、長い睫。途中で折れることもなくすらりと伸びた高い鼻梁は、同性の霧桐から見ても羨むほどのものであるのに、“綾華”の時の明神はそれが気に入らないのだ、と話す。   霧桐が綾華に出会ってまだ間もない頃に訊ねた事があるのだが、『違う自分になりたかったのよね。ほら、いつも澄まし顔のままじゃ、疲れるじゃない』と答えたのを、今でも覚えている。  そんな綾華は、昼間は化粧も女装もしておらず。親族が立ち上げた明神グループの経営する会社で営業をしているのだと聞く。  ――ちっともそんな風には見えないつーか……。  毎回、霧桐は綾華を見る度にそう思う。霧桐は綾華の時の彼しか知らないが、昼間の彼を知る愛沢が言うには『仕事の出来そうなイケメンサラリーマンだったよ』とのことだった。  人間、一見しただけでは分からないものである。 「ねぇ……ぼうっとしゃって、どうしたのよ? 唯ちゃんらしくないわ」  ぼんやりと物思いに耽っていた霧桐の思考を、綾華の心配そうな声が引き戻した。  いつもの霧桐であれば、仕事中にぼんやりすることなどまずもってないのだが。やはり、今日の愛沢の一件が効いているらしい。  霧桐は弱ったような表情で「それが……」と声を潜めて話し始めた。 「……昨日、愛沢さんに告白したんだけど……」  霧桐がそう言うと、綾華の表情が露骨に輝いた。彼女はこの手の話が好きで、綾華自身もバイセクシャルということもあって霧桐は愛沢のことについてよく相談していたのである。 「キャッ、唯ちゃんとうとう言ったのね!! それで? 返事は、なんて!?」  カウンターの上に身を乗り出しながら興奮気味に詰め寄る綾華の勢いに気圧された霧桐は、半歩後ずさりながら答えた。 「返事は、OKだった……。でも……」  そこまで口にしたところで、霧桐の口からハァ、と大きな溜息が零れる。確かに返事は色好いものだったが、まさかその後にあんな展開が待っていただなんて一体誰が想像出来ただろうか。  先ほどの愛沢の言葉を思い出しては、また霧桐の表情が曇り肩が下がる。 「OKだったってのに、唯ちゃん嬉しくなさそうね」 「……OKしてもらえたのは嬉しいんだけど……“唯ちゃんは俺のものだけど、俺は唯ちゃんだけのものじゃないから。束縛できると思わないでね”って言われて……」  霧桐を今現在進行形で悩ませている愛沢が放った言葉を一言一句違わず告げると、それを聞いていた綾華の表情も曇ってしまった。 「あ゛ー、うん……なんていうか……尚吾ちゃんらしいっていうか……」  白っぽいファンデーションの乗る眉間に、深い皺を刻みながら野太い声を出す綾華。その呟きの様子からすると、愛沢が何故霧桐にそう言ったのか知っているようでもある。  愛沢と綾華は霧桐がここに勤める以前からの知り合いで、同級生だったとも聞く。愛沢が霧桐に話そうとしない愛沢の過去とやらも、同級生であった綾華ならば知っていてもなんらおかしくはない。  ――聞いてみるか……?  このまま理由が分からないと落ち込み嘆き続けるよりは、どんな理由であったとしてもそれを聞いてすっきりした方がずっといい。  それに、綾華ならば何か話してくれるかもしれない。そういった期待もあって霧桐が「あの……」と口を開いたところで、見計らったかのように愛沢から声を掛けられた。 「二人して、何? 内緒話?」  今しがた霧桐と綾華が話していた内容を知っているのか、そう言った愛沢の目は笑ってはいなかった。  綾華の口から愛沢のことを訊き出そうとしていた後ろめたさがあるからか、霧桐は愛沢の登場に口を噤んでしまう。

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