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はじめての喧嘩

 肩に乗せた布団が勝手に動いたせいで佐原は浅い眠りから簡単に目が覚めた。 「――び、びっくりした! 龍?!」 「ごめん、起こした……」  目を凝らして見ても部屋の中はすでに薄暗くて、今、お互いにどんな顔をしているのかはっきりと確かめることが出来なかった。 「鍵を返してないって気付いて……」 「急に、何――?」 「――俺……ずっと、なんか寂しくて。けど佐原がたくさん優しくしてくれて……、それに気分を良くして、ずっと甘えて――。佐原が別の人と笑ってるのを見て、俺、佐原の時間奪い過ぎてるってようやく気付いて……」  次第に暗さに目が慣れて背の高い男が俯きながら言葉を紡いでいるのが佐原に見えた。 「――お前の家はここじゃないって言ったの、気にしてんのか?」 「ううん、あれは正論だし。ごめんね、佐原」 「謝んな!!」 「佐――」 「俺はっ、お前のごめんが一番大っ嫌いだ! 全部自分が悪いみたいに言いやがる! この部屋に上げたのも合鍵を渡したのも俺なのに! 一方的にお前ばっかが悪いみたいに言いやがる! 俺とあの人が同じ名前のことに何で俺が謝られる?!」  茅葺は佐原の堰を切ったようにすごい勢いで流れ出す言葉の応酬にすっかり声を失っていた。 「謝ることで相手が癒されるとでも思ってんのかよ! お前が謝るたびに俺が悪いことしたみたいな気分になるんだよ! そんな俺の気持ちがお前に分かんのか?! 少しでも考えたことあったのかよ!!」 「ご……、でも、他に言葉が見つからなくて……」  言葉尻の弱い茅葺が更に気に障ったのか佐原は勢いよくベッドから飛び降りて茅葺の胸を手で強く押した。 「もういい! 返せ鍵! 一人で進めたんならそれでいい! ホラ返せよ!!」 「待っ、待って」  自分より小さな佐原に殆ど無抵抗に近い状態で茅葺は部屋の外にどんどん押し出されていく。 「待たない、返せ! さっさとテメェの家に帰れ!!」 「待って」 「ダメだ!!」  茅葺は勢いに負けまいと、伸ばした両腕で佐原の両肩をしっかりと掴み、とうとう声を荒げる。 「泉巳!!」  六畳しかない狭い部屋の中に茅葺の通る声が大声量で壁に反響した。まるで佐原の身体中に雷が走り抜けたかのようだった。声に感電したみたいに佐原は黙り、身体を硬くした。 「ずっと――泉巳を……泉巳って呼んでみたかった――。でも、それすら泉巳を傷付けそうで……怖くて……」  落ち着いた茅葺の声に佐原はゆっくりとその目を見つめた。 「他の子が――泉巳って呼んでて……単純に羨ましかった……。そう呼ばれて話す泉巳が楽しげに笑ってて……俺は悔しかった――」  茅葺は一体何を言っているのか、佐原には音として以外は入ってこなかった。言葉の意味を理解できない。 ――呼び方?羨ましい?何が? 「なに――言……」 ――大事なのは呼び名じゃねぇだろう――本当にこいつは…… 「バカ男……」  そう漏らした佐原は怒りを全部茅葺にぶつけ終わったせいで今度は反動で哀しみが身体の底から溢れて来て止まらないのか肩を震わせている。  この男は本当の馬鹿なんだとわかっていたはずなのに今更佐原の身にしみた。  モテるくせに他人の気持ちにどこまでも鈍感で自尊心も低くて――、こんなに面倒臭くて、面倒臭いだけの男……。 ――あの人のことをずっと意識して俺の名前を呼ばないことのがずっと…… 「バカヤロウ……」 「泉巳、ごめんっ」 「だからっ、謝んな!」 「ごめん……」 「ああっ、もう! うるせぇ!!」  半ば飛びつく形に近い状態で佐原は正面から茅葺にしがみ付き、驚いている茅葺の心情などどうでもいいのか、その謝ることしか出来ない唇を無理矢理に塞いだ。  茅葺の頰が佐原の瞳から溢れる雫で所々濡れる。  離された唇から小さく「クソ……」と佐原は漏らした。

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