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「んーーーっ!! うンまい、この塩とんこつ!!」
「食いながら喋るな、汁飛ばしてんぞ」
「緒方の煮卵一つちょーだい!!」
「ふざけんな、まだ自分の残ってんだろーが、馬鹿か」
またしても馬鹿と言われたコーイチだが、満面の笑みで聞き流し、初めて訪れたラーメン屋のテーブル席で塩とんこつラーメンをずるずるずるずる。
「この店よく来んの?」
「いーや。バイト先の先輩に先週連れてきてもらったばっかだ」
「ふーーーーん!」
「うまいし安めだし、部活仲間にも教えなきゃな」
「緒方なんの部活してんのっ?」
「バスケ。今日も午前中練習だった」
「部活やってバイトもやってんの!? じゃあ成績悪いっしょ! コイちゃんといっしょ!」
「前回の試験では全教科九十点以上とった」
「ぶほっっ!」
「汚ねぇ」
汚したテーブルを紙ナプキンでふきふきし、コーイチは、向かい側であっという間にカレーラーメンを完食した彼・緒方を見やった。
バスケ部で、バイトやって、成績いいって?
同じ高二でこーも違う?
「緒方ずりぃ」
器を両手で持ってスープを飲み出したコーイチを緒方は見やった。
「お前、自分の髪も吸ってんぞ」
「うぇっ、ぺっ、ぺっ、もうやだ、なんか髪の毛重たいし首痒いし、邪魔くさ」
「女装が趣味なんだろ」
「べっ、別に趣味じゃねーもん、まだ二回目だし……今日いっしょいた女子に頼まれて女装しただけだし……」
「あの後、また強要されなかったか、酒」
「あ、うん、されてない」
夜の七時過ぎ、中年だったり若者だったり、様々な客層で賑わう店内は程々に騒がしかった。
「俺がバイト始める前、あの店で一気飲みが原因で救急搬送された客がいたんだと。だから。注意してからも部屋の前通る度に中の様子は気にしてた。そもそも高校生に酒勧めるなって話だ」
止む気配のないノイズを掻き分けて鼓膜に届く声。
この数時間、何の迷いもなかった緒方の数々の言動を脳裏に反芻させてコーイチは思ったことを素直に口にした。
「緒方って先生みたい」
緒方は目を見張らせた。
短髪黒髪の長身、落ち着いた物腰の大人びた同級生にまじまじと見つめられてコーイチはあたふた視線を逸らした。
「ほらっ、さっきの大学生連中より何倍もしっかりしてるし、声っ、声が聞きやすい! 口は悪いけど!」
「声か。そんなこと初めて言われたな」
「さいですか」
「ここ最近、教職につきたいって思い始めてたから」
「えっ、そーなの?」
「そう言われると嬉しいモンだな」
ブラインドが上げられた窓の向こうに緒方は視線を移した。
無意識にスープを飲み干してしまったコーイチも、一番気になる質問ができずに街明かりの際立つ外に目をやった。
緒方、彼女は?
当然、いるよね?
「あー、それに倫理観ってやつがしっかりしてる」
「へぇ、倫理観ねぇ……」
どーして一番盛り上がる話題について聞けないんだろーね、なー、コイちゃん?
「やるよ、これ」
コーイチは限界いっぱい目を見開かせた。
ラーメン屋で緒方に奢ってもらい、ホクホク顔で店を出た後に「ちょっと待ってろ」と言われてコンビニで待機していたら。
足早に戻ってきた緒方の手には新品のシュシュが剥き出しで握られていて。
それだけでもポカンものだったのに、後ろに回って、てきぱき一つ結びされて、恥ずかしがるのも忘れて書籍コーナー前で棒立ちを維持していた。
なんだこれ?
ただの親切心でここまでしてくれるか?
いやいやいや、ただの親切心じゃなかったら他に何があるんだよ!?
「お……お金」
「いらねぇよ」
「ま、まさか万引きしてきたとか? ッ、あ、いででッ、髪引っ張んな~!」
「そんなだせぇこと誰がやるか」
コーイチは正面に戻ってきた緒方をおずおずと見上げた。
「ど、どーも、です」
「ん」
「に、似合う?」
その問いかけには答えずに緒方はさっさとコンビニを出てしまい、コーイチは慌てて後を追った。
「ま、待って待って……!」
あれ。
そういえば足がだるかったの今まで忘れてた。
ていうかマシになってる?
割とスムーズに歩けるようになったし、走るのも平気になったかな?
街灯の真横で足を止めていた緒方の隣にコーイチが追い着けば、履き慣らした革靴の彼はゆっくりと歩き出した。
「お前、帰りは電車か」
帰宅の手段を尋ねられると淋しさが押し寄せてきた。
……は?
……淋しさってなんだよ?
……コイツは平気で三大悪口かましてきた奴だぞ?
「うん、電車。緒方もいっしょ?」
「俺はバスだ」
「あ、そ……ふーん」
緒方の足が駅に向かっていることに気づいて、彼とのバイバイが迫ってきていることを知らされて。
コーイチはアプリコットのリップティントがうっすら残る唇を尖らせた。
緒方が来てくれたからイッキしないで済んだ。
俺もダメージ食らったけどしつこい大学生を撃退できた。
大好きなラーメン奢ってもらった……。
「ほんと、ありがと、です」
本日、何かと自分のピンチを救ってくれた緒方にコーイチはしみじみとお礼を述べた。
「緒方、なんでバイトしてんの? 生活苦しいの? お父さん倒産したの?」
お礼を述べられた後に直球の質問を寄越されて緒方は苦笑する。
「いくらなんでもストレートに聞き過ぎだろ」
「ごめん」
「社会勉強」
「お、俺なんか学校の勉強もままならないのに」
「日曜は大体バイトしてる。練習試合や遠征のときは休ませてもらうけどな。始めてもうすぐ一ヶ月ってところか」
「は? うそでしょ? まだ一ヶ月? 正社員のオーラ出てましたけど?」
「正社員は言い過ぎだろ」
「ううん、ガチで出てた! 正社員のオーラがムンムンだった!」
他愛ない話をしている内に駅に着いた。
「じゃあな」
緒方は端的に別れを告げると駅ビル入り口の正面にコーイチを残し、自分は先にあるバス停目指して歩道を進んでいった。
実に呆気ないバイバイだった。
夜の八時過ぎ、人の行き来が絶えない駅前に残されたコーイチはその後ろ姿をぼんやり見送った。
なんだよ。
素っ気なく置いていきやがって。
まだ九時前じゃん。
もうちょっと話したかったのに。
学校とかバイトとか、緒方のこと、もっといろいろ聞きたかった。
連絡先のいっこくらい聞いてればよかった……。
他の通行人に紛れて消えかけていた彼の背中を視線で追いかけていたコーイチは、はたと我に返った。
俺、格好だけじゃなくて心まで女子化して……?
ううん、違う。
そんなんじゃない。
男とか女とかカンケーない。
これは単なる恋心ってやつ……。
「……それこそやばいだろ」
思わず一人呟いたコーイチ、ぐるりと方向転換、駅ビルに突入して改札口へまっしぐらに向かった。
いろいろ助けられたから。
ラーメンご馳走してもらったから。
見た目も性格も男前だから。
ちょっと俺の脳みそバグ起こしたんだ。
これは気の迷いってやつだ。
また会いたい、すぐ会いたいって淋しがってるのは、女装してふわふわ浮かれた気分になってるコイちゃんだけーー
「コイ」
コーイチは息が止まるかと思った。
いきなり背後から片腕を掴まれ、その名前で呼ばれて、振り向く前から相手が誰なのかわかって。
薄っぺらな胸がこれでもかと高鳴った。
「まだ、もう少しお前の時間もらってもいいか」
通行人の間を擦り抜け、短距離走でゴールインするかのように自分の元へ辿り着いた緒方に全神経を奪われて、コーイチはただただ頷いた……。
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