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阿南は狼筋の人間だった。
「……俺の家族は祖父に殺された」
親から子へ、決して絶えることなく受け継がれてきた不浄な血は時に獣の性を目覚めさせ、姿まで変え、意図せぬ凶行に走らせる。
「……人の姿に戻った祖父はその場で自ら死んだ。俺も死ぬべきなのにな、一人目でそうするべきだった」
十代で家族を失い、村から村を彷徨い、数年前この土地にやってきた阿南。
そしてまたしても蘇った悪夢。
今度は我が身が眠りについていたはずの獣の性に乗っ取られた。
「……口の中に残る犠牲者の血の味に、いっそ、狂うことができたらな」
「僕も同じ」
湯気立つスープが置かれた食卓を挟んで向かい合った二人。
三里は「あちち」と言いながら木のスプーンでスープを飲みつつ、向かい側で押し黙った阿南に続けた。
「僕も独りぼっち」
阿南が狼つきだとか、すでに人を殺めたことに反応するでもなく。
「……人殺しの狼に同調するな、三里」
味つけなど二の次でとにかく胃に何か入るのならそれでいいと、食に関心がなかったはずの三里は、残さずスープを平らげるどころか、いっぱいおかわりした。
「食べ過ぎちゃった」
食事を終えてすぐ長椅子に横になった三里に阿南は微苦笑した。
「豚になるぞ」
「豚さんになったらおいしく食べてくれる?」
「……」
「誰かといっしょにごはん食べたの、久し振り」
「……そうなのか」
「調子に乗って食べ過ぎちゃった」
「……俺も誰かと食ったのは久々だ」
床に跪いた阿南が頭を撫でてやれば三里は喉でも鳴らしそうな勢いでご満悦状態となった。
サラサラした手触りの前下がり気味な黒髪。
狼阿南に襲われた際に片方のレンズにヒビが入った眼鏡をかけて、瑞々しい肌で、艶めく唇で。
「ここでいっしょに暮らしてもいい?」
いつまた呪われた血が蘇るかわからない。
すでに三人、屠った。
四人目に牙をかける前にこの血と共に永遠の眠りにつくべきだ。
それなのに。
「明日は。何を食いたい……?」
どうしてだろう、三里を手放したくない。
「阿南。行っちゃだめ」
二人がいっしょに暮らし始めて×日が経過した、風のひどい夜だった。
長椅子でブランケットに包まって眠っていた三里は遠吠えじみた嵐の音色ではなく、小屋の中に満ちゆく不穏な空気に目覚めを誘われた。
狼阿南がいた。
慈悲なき漆黒と化した彼は今、正に外へ駆け出そうとしているところだった。
「阿南。行っちゃだめ。行かないで」
ヒビ入りの眼鏡をかけ、追い縋った三里に、狼阿南は振り返った。
声は言葉として届いているのか、理解しているのか、自分をちゃんと認識しているのか。
三里には何もわからなかった。
『……俺も誰かと食ったのは久々だ』
だけど最初の出会いに覚えた恐怖はなかった。
出会ったときと同じように打ち倒されて漆黒の巨躯に伸しかかられても。
血走った鋭い双眸に阿南の面影を見つけた三里は両腕を差し伸べて笑った。
「行かないで、ここにいて、僕を食べて」
僕の肉でどれだけ空腹が持つかわからないけど、僕を食べたことで阿南が罪悪感に駆られるかもしれないけれど。
もしも阿南が森へ行って誰かに殺されるよりかは全てマシに思えるから。
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