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予定表は当然全員に前もって配布した、しかし三里だけは例外として直接保護者にも連絡すべきだった。 父親は司法書士、母親は美術館の学芸員、両親共に多忙、兄弟姉妹はなし。 隅々まで綺麗に片づけられたリビングはついさっきまでいた家政婦さんによるもの。 「もしかしてオレンジジュースがいいですか? それともアイスココア? 濃い目のカルピス?」 「……三里、お母さんがいないと意味がない、今日は帰る」 「やです」 また始まった。 普段は上下ジャージの阿南、しかし家庭訪問の際はちゃんとスーツを着た体育教師、やんちゃな男子よりもませた女子よりも、いっちばん扱いに困る生徒を見下ろした。 三里は相も変わらずまっすぐ阿南を見上げている。 ブランドのロゴが胸元に入ったポロシャツ、ぷにぷに感のある二の腕、カーキの半ズボン、か細いふくらはぎ、自分用のもこもこスリッパ。 「先生、僕の処女、強奪して?」 阿南は、いつになく、苛々していた。 まんまとやられた自分自身に腹が立っていた。 「阿南先生」 三里がスーツの裾をきゅっと掴んでくると。 つい、苛立ちにそそのかされて。 普段は決してそんな真似には至らないのに。 生徒の小さな手を思い切り力任せに振り払った。 「あ」 すぐに我に返った阿南。 子供に向ける力じゃなかったと、さらに自分自身へ苦々しい苛立ちを募らせて内心自嘲気味に舌打ちしながらも「すまない、三里」と彼に心から詫びた。 小さな声を上げた三里は振り払われた手をもう片方の手で覆っていた。 痛かったはずだ。 だが、やはり彼は痛みに表情をくしゃくしゃにするでもなく、お人形さんみたいな無機質じみた瞬きをパチパチし、担任に言うのだ。 「阿南先生、いつもと違う、ちょっと乱暴で」 少し赤くなった手と、日焼けに疎い白い手を、阿南の利き手にそっと添える。 「せっくすの時も、そんな? いきなり乱暴になる?」 ひんやりした冷たい手。 心地がいい。 「僕、怖くないです。そんな阿南先生も、好き」 阿南の手に次に添えられたのは小さな舌先。 瑞々しい唇の狭間から控えめに覗いたそれが阿南の手の甲をそっとなぞる。 「……好き、阿南先生」 本当にそうなのか? 俺は三里の思惑に気付けなかったか? 予測がつかなかったか? 三里のやりたい放題を放置したのは、それを、心のどこかで望んでいたからじゃないのか? 「あ」 阿南は三里を抱き上げた。 保健室に運んだときと変わっていない、軽い、簡単に持ち運びできそうな小さな体をすぐそばにあったソファ上へ。 背もたれではなく肘掛にもたれさせるように横たえると、自分はその真上に移動した。 改めて感じる体格差。 なんて小さいのか。 子供より、子供のような、頼りなさ。 ポロシャツが少し捲れて腹が覗いている。 三里はお人形さんじみたパチパチ瞬きを続けている。 今、確実に興奮している。 俺はこれから自らの意思でもって犯罪者の域に及ぶ……。 阿南は三里にキスした。 瑞々しい唇を自分自身の唇で完全に塞いだ。 柔らかな微熱。 やっぱり、頼りない、弱々しい、心許ない。 舌をいれようか、もう少しこの癖になりそうな感覚を味わうか、どちらにしようか逡巡していた阿南は気がつく。 三里が息を止めていることに。 「……おい、三里」 「ぷはっ」 唇を離すと呼吸を再開した三里、その頬はみるみる上気して鮮やかに発色し、ずれた眼鏡の向こうにある双眸は瞬く間にじんわり濡れた。 「なんで息しない」 「え、だって……口、塞がれてたら息できないです」 「……鼻でできるだろ」 「あ……、……忘れてました」 「……」 「そうだった、呼吸って、鼻でもできますよね」 「……舌、いれていいか」 「え? あ……いわゆるディープキス……ですか?」 「……次はちゃんと息をしろ、三里」 「んっ!」 阿南は唇を重ねるなり柔らかな微熱を割って舌先を口内に進めた。 一気に湧いた唾液に舌尖を浸し、温んだ粘膜を舐め上げる。 どうすればいいのかと縮こまっていた三里の舌を巧みに誘き寄せ、絡みつき、戯れる。 薄目がちに確認してみれば呻吟する三里はぎゅっと目を瞑っていた。 瞼がぴくぴく痙攣している。 あれだけ平然と過激な言動を繰り返していた生徒が見せる年齢相応な初心な反応は、教師を、さらに滾らせる……。

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