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30-パラレル番外編-男ふたなり生徒の初めてになってやる
「……ウチの生徒に何か」
三里は眼鏡のレンズ越しに彼の後ろ姿をまじまじと見つめた。
夕刻、歩道橋のすぐそばだった。
何度か相手をしたことがある既婚者の男に数日前に本気で言い寄られ、関係を断とうとすれば逆上され、つけ回され、その日の放課後も待ち伏せされて。
片腕を掴まれて罵られ、通行人はそそくさ通り過ぎていき、あーあ、めんどくさいなぁ、どうしようかなぁ、特に怯えるでもない三里がぼんやりそんなことを思っていた矢先に。
彼はやってきた。
季節の変わり目、制服の長袖シャツ越しに細腕をきつく掴んでいた男の手を彼は容易く引き剥がした。
引き締まった長身の体を割り込ませて瞬時に三里の盾となった。
「……教師の私が代わりに話を聞きますが」
男は無言で走り去っていった。
後を追おうと、足を踏み出しかけた彼に、咄嗟に三里はしがみついた。
「好き」
彼は、阿南は、肩越しに振り返った。
バスケ部の指導を終え、車に乗って家路についていたところ、歩道橋脇で十二分に見覚えのある制服を着た男子生徒がスーツ姿の男に何やら詰め寄られている光景が視界に引っ掛かり、路肩に車を寄せて停め、数メートルを駆け足で引き返して、二人の間に割って入った。
「好き」
「……」
男は逃げ、生徒からは抱きつかれて突拍子もなく告白され、阿南はしばし立ち尽くした……。
「僕、ヴァギナがついてるんです」
生徒の三里を自宅まで送ろうとしていた阿南は俄かには信じがたい話を車内で聞かされた。
「生まれたときから。両親はどびっくりしたみたいで、大きな病院ハシゴしたみたいで。でも、もう今じゃあ、放置の極みです。二人とも訴訟訴訟訴訟で忙しいから」
「……ご両親、弁護士なのか」
「おかげさまで、こんな欲求不満なド淫乱に育っちゃいました、週に一回はセックスしないと禁断症状が出ます」
「……」
「あ、今日でノーセックス期間に入って七日目です、先生、よかったら相手してくれます?」
「……また同じ交差点に出たぞ、三里」
「あ、じゃあ左でお願いします」
「……自宅を忘れたのか、お前」
「カーセも可ですよ、先生」
阿南はため息を殺した。
三里は高校一年生、二年を受け持つ身としては全く面識のない生徒だった。
……何がついてるって?
……セックス依存症もとい虚言癖を発症させているんじゃないのか。
さらさら前下がり気味の黒髪、眼鏡、華奢、膝に乗せたスクールバッグを抱きしめた三里は確かに中性的な雰囲気ではあった。
しかし到底信じられずに世迷言でも吐いているのだろうと思うことにして、阿南はハンドルを切った。
「……さっきの男のことは、どうするつもりだ、三里」
「どーもこーも、です。僕は恋愛したくてセックスしたわけじゃないから」
「……」
「何も考えられなくなるくらい攻められて、空っぽになりたいだけなのに。別にいっしょにごはんなんか食べたくないし。メールなんかしたくないし。ドライブなんかしたくないし」
「……お前、よく喋るな」
普段、教室では質問の回答以外ほとんど口を閉ざしている三里は言う。
「阿南先生」
深い藍に浸食されゆく空。
銀色の三日月が地平線に呑み込まれそうになっている。
「好き」
後部座席に座らせた三里に三度告白されて、かれこれ小一時間車をグルグル走らせている阿南は、ため息をついた。
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