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「なんでセックスしてくれないんですか」 その日は文化祭だった。 多くの生徒がはしゃいで熱気づく学内、ライブやバザーも催されて一般客の出入りもあったりと大いに賑わっていた。 至るところに飾り付けられた風船の割れる音が定期的にどこからともなく聞こえてくる。 他の教師が生徒と共に秋の一大イベントを散策している中、自ら留守番を申し出た阿南は体育科教員用の準備室に一人残っていた。 「阿南先生、ひどいです」 羽織っていたフードつきパーカーを脱ぎ、ラフなTシャツ姿でデスクワークに励んでいたら、同じくヤル気のない三里がやってきた。 「僕もうノーセックス期間に入って十日目なのに、もう死んじゃう」 「……セックスしなくても人は生きていける」 「僕は生きてけません、セックスセックスセックスセックス」 「……」 中庭から特設ステージで行われているダンス部の軽快な音楽や歓声が風に乗って流れてくる。 「好き、阿南先生」 助けに入った、きっかけはソレしかないだろう。 助けに入らなければよかった、そこまで思いはしないが、こうも日々付き纏われると……。 「自分を大事にしろ、三里」 デスクから立ち上がった阿南は無表情のまま三里の頭を撫でた。 セックスしてくれない体育教師に痺れを切らしたのか、三里は、何も言わずに準備室を出て行った。 残された阿南はデスクに着席してスリープを解除し、パソコン作業を再開させようとした。 『好き』 オウム返しみたいに繰り返される感情のこもっていなさそうな単調な言葉。 不快にもなりかねない直視の嵐。 嫌じゃない。 苛立つどころか、物欲しくなる。 これ以上付き纏われたら自制の枷が外れてしまうかもしれない。 いつまで経っても次のキーを叩けずに阿南はため息をついた。 「三里、頼むよ」 まさか文化祭というイベントに乗じて男が学校にまで入り込んでくるなんて予想もしていなかった。 生徒の行き来がある渡り廊下で迫られ、さすがに危ぶんだ三里は死角となる出入り禁止の屋上入口へ男を連れて行った。 「最後に一度だけ、それで諦めるから、頼むから」 錆びついて傷んだ屋上ドアの前、埃の降り積もった狭いスペースで押し倒された。 男の言葉を信じた三里はその先を許した。 体だけじゃ足りずに心まで欲しがられて億劫でならず、気乗りしないセックスを渋々受け入れた。 気乗りしないどころか。 ちっともよくなかった。 むしろ鳥肌が立つくらい嫌悪した。 気持ち悪い、吐きそう。 なんでだろう。 そりゃあ、今回は嫌々で、渋々だけど、前回までは普通によかったし、いったし、感じてたのに。 『……いつになったらお前の自宅に着くんだ、三里』 三里は何度も瞬きした。 『……いい加減、腹が空いた、さっき通り過ぎたファミレスに寄ってもいいか』 ……この間、先生と夜ごはん食べた。 ……あったかい丼食べた。 ……先生はごはん後にパフェも食べてた。 ……チョコレートがけマロンパフェ食べてた。 「い、痛……」 一口もらったら、おいしかった、もっと食べたかった。 でも、先生、車を運転してたときからずっと同じ表情だったけど、チョコレートがけマロンパフェ、すごく好きみたいだったから、もうもらわなかった。 「痛い……」 先生、さっき、頭撫でてくれた。 きもちよかった。 もっと、もっと、いっぱい撫でてほしかった。 でもなんか急に苦しくなって、心臓がぎゅうってなって、壊れそうになったから、離れた……。 「あ……う……」 早く早く早く早く、早く終わって、早く射精して僕から出てって。 先生、先生、阿南先生。 好き、阿南先生……。 「三里」 一人、薄汚れた床の上で気を失っていた三里はその呼号にゆっくり意識を取り戻した。 阿南が目の前に立っていた。 ボロボロになった自分を見下ろしていた。 「……阿南せんせ、い」 阿南は何も言わずにその場から去って行った。 床に寝そべったままエビみたいに丸まった三里は目を瞑った。 先生に嫌われちゃった。 どうして阿南がここにやってきたのか、疑問を抱く余地すらなく、施錠された屋上ドアの前で青春感満載な文化祭の喧騒を遠くに三里は一人丸まり続けた。 ……あれ。 ……あったかい。 エビみたいに丸まっていた三里が少女めいた双眸を開くと、また、目の前に阿南がいた。 準備室の回転イスに引っ掛けていたパーカーをかけられて、阿南の匂いが残る温もりに三里はすっぽり顔を埋めた。 準備室から去って行った三里のことが何となく気になって、自分と同じく人付き合いの悪そうな生徒の避難先と思しき場所を転々と巡り、阿南はここへやってきた。 男はいた。 虚脱した三里にのしかかって腰を振っていた。 最初と同じように阿南は三里から男を引き剥がした。 ぶん殴ったのは今回が初めてであったが。 そしてまた同じように逃げて行った男は放置し、埃に塗れた生徒を抱き起こそうとして、不意に立ち尽くした。 乱された姿の彼に欲情している自分自身に冷えた怒りを覚えて……。 「阿南先生、ケガしてる」 パーカーからもぞりと顔を出した三里が阿南の手の腫れに気がついた。 赤くなった利き手の関節にか細い指をそっと添え、小首を傾げ気味にして「大丈夫ですか? 痛くない?」と尋ねてきた。 阿南は頷いた。 「……お前の方こそ大丈夫なのか」 「僕は自業自得です」 「……」 なかなか起き上がろうとせずにパーカーに包まり続ける三里のそばに阿南は寄り添い続けた。

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