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AKARI

 物心がついた時にはもう、明は愛されて当たり前の存在だった。何をしても褒められ、可愛がられ、許される存在だった。  『明くんなら男でも抱ける』と同級生の男子に言われた時、明は喜びを感じると共に当然の事だと思った。だって自分は、アルファである渚に愛され彼の子を身篭るために産まれた、同性をも惑わせるオメガなのだから、と。  だが現実とは時に無情なもので、自分はオメガだと疑わなかった明に神は、ベータだなんて平凡な第二の性を与えてみせた。  絶望した。  愛されるべき存在の自分が、まさかあの不出来で目障りな幼馴染と同じ性を受けるだなんて…。目の前が真っ暗になった。でもこの広い世界の中で、少数ではあるもののベータからオメガに目覚める者が存在する事を知った明は、いつか渚の番としてオメガに目覚めるはずなのだと…再び夢を見るようになった。  今感じている苦しみは、この後訪れる幸せをより一層甘くしてくれるはずだと信じて。 『早く出て行って?』  数時間前まで優しかった渚が、今、凍える程冷たい目を自分に向けている。  なんで、どうして…そんな目を向けられる相手はアイツのはずなのに。  明が立つはずの場所にいつだって当たり前の様に立って、自分と渚の仲を邪魔する憎い幼馴染。いつかアルファに愛される存在となる自分と違い、その容姿にぴったりの性を持った哀れで醜い幼馴染。  渚が自分の手を取ったとき、二度と邪魔できないよう遠くへ追いやってやろうと思っていた、あの不純物でしかない幼馴染が。  どうして渚に、選ばれる…? 『二度と俺の名前を呼ばないで。呼んで良いのは、メグだけなんだから』  信じられないことに、ベータだとばかり思っていた巡が実はオメガで、その上彼は渚の運命の番なのだと言う。  明を拒絶した渚は頑なで、部屋から追い出しただけに留まらず外で話しかけることも許さなかった。何を言っても“君には関係ない”の一点張り。取り付く島もなく追い払われ、やがて渚を取り巻く人間からも同じ扱いを受けるようになった。  恨みが、憎しみが、募る。  だがそれは渚にではなく、自分から渚を奪った醜い幼馴染、巡へ向けてだ。  巡はいつだって明を見ていた。不出来な顔をこちらへ向けて、物欲し気に瞳を揺らしていた。  明は気付いていた。巡が自分に好意を寄せているということに。  だがそこには嫌悪しか生まれず、身の程知らずだと何度も心の中で罵った。その辺りに転がる石ころが渚の物となる自分へ好意を寄せるだなんて、何て罰当たりなことだ、と。  けれどそんな渚が求めたのは、明が散々馬鹿にして見下してきた巡だった。    渚は絶対に巡を手放さないと言う。だったら、無理にでも離れさせるだけだ。  巡の転がし方なら心得ている。ほんの少しにっこりと微笑んでやればそれで良い。それだけで巡は、自分の言う事を何でも聞くのだから。 「許さない、認めないよ。お前が彼の番だなんて、僕は絶対に認めない」  ◇ 「アイツなら、先月大学辞めたって聞いたけど」  巡の通う大学で、何人も捕まえて漸く知り得た情報は信じられないものだった。 「辞めた…?」 「なんか、専業主婦?になるとか何とか。旦那が書類持って来たって聞いたけど」 「旦那…」 「とんでもない美形だったって、事務処理のお姉様方が騒いでたからね。それ以上に俺は、アイツがオメガだった事に驚いたけど」  そう言って笑う男の顔には好感が持てた。その表情は、明らかに巡を馬鹿にしていたからだ。 「君、アイツと知り合いなの?」 「うん、幼馴染」 「へぇ…もし良かったら今からご飯でもどう?」    下心が見え見えの男に向けてにっこり笑ってやる。 「ごめんね、僕もう行かなきゃ。どうも有難う、またね?」  そんな仕草一つで目の前の男は「うん…また、」と頬を赤く染めた。  あぁ、何て簡単な奴らだろう。なのにどうして渚だけが上手く転がらない。例えどれだけ明が美しく咲き乱れても、そこへ寄ってくるのは醜い蛾ばかり。焦れる程に求めた美しい蝶は、いつだって花の無い雑草へと引き寄せられ行ってしまうのだ。  ギリっと奥歯を軋ませる。  今の時間なら渚はまだ仕事に違いない。イラついた気持ちを歩みに乗せて、明は走るようにあの部屋へ足を向けた。  部屋の鍵は変えられていなかったが、合鍵は取り上げられて持っていない。けれど明の顔を覚えていた管理人に上目遣いで頼めば、直ぐにその扉は開かれた。  躊躇いなく中へと足を踏み入れる。シンと静まり返った部屋の中は、まだ昼間だと言うのに薄暗く空気が冷たい。まるで誰も居ないかのようだったけど、部屋に入った際によく見知った巡の靴を確認している。つまり、この部屋のどこかに巡が居るはずなのだ。 だがそんな巡の姿は、リビングにも、渚の部屋にも、少し前まで明の部屋だったそこにも無かった。残る場所はただ一つ、ここから一番奥の部屋。  忌まわしい記憶が残るその部屋に、明はゆっくりと近づいた。  ギィと軋んだ音を立てる巡の部屋のドアを開け、明は怒りも忘れて息を呑んだ。 「めぐる…?」  カーテンを閉め切った薄暗い部屋の中、巡は一糸纏わぬ姿でそこにいた。かつて明を眠らせ繋いだベッドの上に座り、ぼんやりと視線を空に彷徨わせている。 「巡ッ!!」  幾ら憎い相手でも幼馴染は幼馴染、様子が可笑しければ不安になる。そうして思わず巡に駆け寄ると香る、性の匂い。  ベッドの上はまるで洪水でも起きたかの様に濡れそぼり、巡の下半身は痛々しく天を仰ぎ、次から次へと透明の液体を溢れさせていた。その光景に目を瞠り、口元を手で覆う。  言葉が、出なかった。 「あか…り…」  呼ばれてハッすれば、先ほどまで空を彷徨っていたはずの巡の視線が明を捉えていた。だけどそれの、何と弱いことか。以前だって巡の目は揺れていたものの、もっと物欲し気で、そしてそこには強い意志が宿っていた。雄弁に“明が欲しい”と語り、強い欲望を滲ませていたのだ。それなのに、何で…。 「め、めぐる」 「どう…して…」 「え…?」 「どうして…ちゃんと捕まえなかった…」  好きならどうして、渚を捕まえておかなかったんだ。  明がちゃんと渚を捕まえてさえいれば。そうすれば俺は、こんな風にならずに済んだのに。渚を欲しがらずに、済んだのに。  明は呼吸を忘れた。目の前で巡が、今すぐ殺さんとばかりに自分を睨みつけたから。 「うらむ……恨むよ…あかり」  明は急に巡が怖くなった。こんな目をした巡は知らない、見たことが無い。目の前の彼は、いつだって自分を愛おしそうに見つめていたはずなのに。  恐怖心に急かされ、慌てて部屋から逃げ出そうとすればぶつかるその体。見上げたそこには、明が愛してやまない美しい男、渚が立っていた。 「な、なぎ…」 「渚っ!!」  どうしてここに、そう思った明よりも先にその名を叫ぶ巡。  混乱して固まる明を、まるで存在しないかの様に無視して隣を過ぎた渚は、汚れる事も厭わずベッドの上の巡を抱きしめた。 「メグ、どうしたの。待ちきれなかったの?」 「ねがっ、おねがいっ、なぎさ、おねがっ」 「ん?」 「も…無理、おねがいっ、イケない…イケないよぉ…」  巡が渚にしがみついて泣いている。抱いて、早く抱いて、我慢出来ない、早く挿れて、早く、早く、早く…。  胸が張り裂けそうな程に苦しく、切ない声だった。  渚がくすりと笑い、巡に優しく口付けるとそのままベッドへ押し倒す。ガチャガチャと乱暴な手つきで自身のベルトを外し、渚は全てを曝け出している巡に覆いかぶさった。  途端上がる、悲鳴にも似た声。  そのまま激しく揺れ始めた渚の背中に合わせ、ベッドの軋みと巡の甘い喘ぎが部屋に響く。肌と肌がぶつかる合間に混じる粘着質な音は、耳を塞ぎたくなるほど卑猥だった。  けれど、明の体は固まったまま動かない。    以前この行為を見せつけられた時、巡は確かに抵抗していた。明はその事実を理解していた。だって知っていたのだ、巡が本当に欲しかったのは渚ではなく自分なのだと。  だからこそ許せなかった。  渚が与える愛を、巡は欲しくないと嘆き簡単に捨てようとする。そんな巡を縛り付けてでも手に入れようとする渚の歪んだ愛が、明は欲しくて欲しくて堪らなかったのに。  だが、今の巡はどうだろうか。明の事が好きだと語っていた瞳に憎しみを滲ませ、あれ程拒絶していたはずの渚に自らその身を開いてみせた。    番でも、アルファでもない明の鼻腔を蜜を煮詰めたような香りが通り抜ける。  甘さを増幅させていく部屋の中、明はひとり取り残されたように佇んだ。今この部屋に存在する自分こそが不純物なのだと、目の前で激しく絡み合うふたりを見つめ、明は静かに悟った。    遠くで雷鳴が轟いた。閉じられた窓の外でドッと雨音が鳴る。一瞬だけ照らされた光の下で、巡が渚の腰に足を巻きつけたのが見えた。  まるで、『もっと欲しい』と強請る様に……  気付けば明は自身の部屋に戻っていた。  全身はずぶ濡れで、どうやってあの部屋を出たのかも、ここまでどうやって戻って来たかも記憶になかった。  明の大きな瞳からボロボロと涙が零れ落ちる。だが何故泣いているのか、明自身よく分からなかった。あの部屋で一度も渚と目が合わなかった事への悲しみか、それとも自分を慕っていたはずの巡に恨まれた悲しみか。  考えてみても、どちらもいまいちピンと来ない。  渚に与えられた小さな部屋にひとり座り込む。今あるのは、ただただ喪失感ばかり。何を失ったのかさえも分からない。  不機嫌な空が何度か唸った後、再び眩しい光が室内を照らす。だが強すぎるその光でさえ、今の明の瞳には何も映すことが出来なかった。  ロープでも、鎖でもなく、巡を繋ぐのは“渚”という運命ただひとつ。  そのただひとつの運命だけが、巡を永遠に縛る絶対的なモノへと変わってみせた。 END

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