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Ⅱ:2

◇ 「なぁ、アンタだろ? いま噂になってるDomって」  太陽が西に傾き、空が藍に侵され始めたそのころ。俺は自身が通う大学の最寄り駅で見知らぬ男に声をかけられた。 「…はぁ?」  朝から散々好奇の目に晒されてきたのだ、その噂とやらが何を指しているのかなんて考えなくても分かった。だがその男の顔に見覚えはなく、同じ大学の生徒なのかどうかも定かではない。一体何者だろうかと疑心を露わにすれば、男は目を細めて笑った。 「そんなに警戒すんなって、俺も同じDomなんだよ」 「だからなんなんだよ。大体、お前誰だよ」 「ああ…、俺ね」  そう言って口元を吊り上げる男の笑みにうすら寒さを覚える。 「俺、アンタを堕としたDomと同じ大学に通ってんだけど」 「……清宮と?」  清宮の名前を出した瞬間、男の笑顔が僅かに引き攣った。 「うん、そう。ほら、彼って色んな意味で有名人だからさ、俺の大学でもアンタの件がいま凄い騒がれてて。合コンに参加してない俺の耳にまで届いてるんだ。アンタ有名人だよ」 「で? それでお前はわざわざ、ここまで、堕とされた俺を馬鹿にしに来たってわけか?」  ギッ、と強く睨み付ければ、男はまた胡散臭い笑みを浮かべた。 「違う違う。俺はただ、アンタと話がしたくて」 「だからなんで俺なんだよ。清宮に堕とされた奴なんて、他に幾らでもいるだろ?」 「他じゃ駄目なんだッ!」  突然興奮した男は声を荒げ距離を詰めると、俺の腕を乱暴に掴み上げた。周りの視線が一斉に俺たちに向いたのが、感覚だけで分かった。 「こんな所で話していると目立つ。アンタもこれ以上見られちゃ困るだろ? なんたってここは、アンタの大学のすぐ近くだ。噂だってあっと言う間に広まる」 「てっめぇ…何がしたいんだよッ」  イラつきを露わにした俺をみて、男の目は益々狂気と興奮を滲ませ弧を描くように歪んだ。 「ちょっとそこの路地裏まで、ついてきてよ」  人目を気にして、素直について行った俺が馬鹿だったんだ。男は多分、清宮の手に堕ちたDomのひとりだ。 「何でお前なんだよォオ!」 「あぐッ!」  男が繰り出した蹴りが見事俺の腹に直撃し、胃の中のモノがせり上がる。まだ夕飯を入れる前の胃袋だったから、吐き出されたのは先ほど飲んだ安物のお茶くらいだったが。  男は俺を暗がりに連れ込んだ途端殴りかかってきた。なんで、どうしてと訳の分からない事ばかりを叫んで一方的に振るわれる暴力に、ただ俺は躰を丸めて耐えるしか術がない。返り討ちにする腕なんて、俺は持ち合わせちゃいないのだから。  だが幾らひ弱だからと言って、永遠に黙って殴られ続けるのも癪だ。 「どうして、どうしてお前がそれを着けてんだよ! なんで首輪なんて貰ってんだよォ!」 「しッ、知るかよクソがッ!!」 「ぎあぁあっ!!」  戦う腕の無い、俺らしい反撃。必殺、地面の砂投げ。  コンクリートの端に僅かに溜まっていた砂を顔面めがけて投げてやれば、それは見事男の目を潰したようだった。  俺は慌てて男の足元から這いずって出る。 「何でなんて、俺が知るわきゃねぇだろこのボケ! 俺だってこんなクソみてぇな首輪取りてぇわ!」  そのまま痛む躰を引きずって、表の通りまで這いずり出ようと腕を伸ばした、その時。 「みぃつけたぁ」  四つん這いになった俺の目の前に、グレイカラーのフェルト生地で作られた、お洒落なハイカットのスニーカーがひょこりと顔を出す。恐る恐るそのスニーカーから繋がる足を辿り上を見上げれば、そこには軽薄そうな笑みを浮かべているであろう男が立っていた。逆光で、実際は口元しか見えなかったけど。 「……きよ…みや?」 「探したよぉ、伊沢くぅん」  目の前に現れた清宮の姿に呆気に取られる俺の後ろで、なんで、と小さく震える声が溢れ落ちた。 「ねぇ、何してんのこんなとこでぇ」 「は…」 「大学まで迎えに行ったのに、〝さっき帰ったッポイ〟とか言われるし。駅まで急いで探しに来てみれば、知らない子に声かけられるしさぁ。それで言われてこっちに来てみれば、伊沢くんは他のDomと居るしぃ、すっごい蹴られてるしぃ…。ねぇ、そこに突っ立ってるお前さぁ……マジでこの子に、なにしてくれてんの…?」  グンと温度が下がった空気の中で、逆光のはずなのに、清宮の瞳が鈍く光った気がした。

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