12 / 47

Ⅲ:3

「Kneel」  清宮の澄んだ声が支配の言葉を落とせば、その後ろで思わず俺が膝を折りかける。が、何とか思い止まった。今日の俺はまだswitchをかけられていない。この命令は、俺に向けられたモンじゃない。  真っ直ぐに命令を向けられたSubは、恥らいながらも道のド真ん中でいそいそと清宮の足元に座り込んだ。  桃色に上気した頬と共に大きな瞳で支配者を見上げるその姿は、Domからすれば苛めたくて堪らなくなる程いじらしい。まだDomのままである俺も、無意識に唾を飲み込んだ。 「よし、いい子」  所謂〝おすわり〟だけをさせて、清宮は目の前のSubの頭を優しく撫でた。たったそれだけのことを褒美と受け取ったSubは、大きな瞳を蕩けさせ、自身を撫でるその手に嬉しそうに擦り寄る。 「清宮」  手とSubが再び触れ合う前に、ぐい、と清宮の腕を引いた。邪魔された事に気付いたSubが舌打ちをする。 「腹減ってんだよ、早くしろよ」  眉間にシワを寄せて吐き捨てると、清宮は少しだけ驚いた顔をして、直ぐに大きな笑みを浮かべた。 「うん、ごめんね? 直ぐ行こうね」  Subから引いた手を俺の腕へと伸ばす。それをサッと避けて背を向け、いま来た道を戻る。昼飯をどこで食うのかなんて知らない。ただ闇雲に足を動かした。  何だか気分が悪かった。鳩尾の辺りがモヤモヤとして気持ちが悪い。後ろから慌てて俺を追いかけてくる清宮の気配に一瞬胸がすくものの、モヤモヤは直ぐに戻って来た。 「今日はどこで食べる? 何が食べたい?」 「………」 「俺が決めちゃってもいい?」  返事をする気にはなれなかった。できれば今は顔も見たくない。だが無言を貫く俺に、何故か清宮は嬉しそうな笑みを向ける。そっと握られた手を振りほどこうとしたが失敗して、諦めて力を抜いたらもっと強く握られた。 「伊沢くん、すっげぇ可愛い」  笑みを崩さない清宮が、俺の腕を引いて一歩前へ出た。先を歩く清宮を見て、ふと考える。  真昼間の街中で同性と手を繋いで歩くのと、道の真ん中で〝おすわり〟をさせられるのは、果たしてどちらが恥ずかしい行為なんだろう。  考えて、直ぐに馬鹿馬鹿しいと頭を振った。人に見られて恥ずかしい行為を強要されるのは、どちらにしろSubにとっては〝気持ちの良い行為〟でしかなくなる。目の前のこの男は、パートナーが居ると言いながらも全く無関係なSubを気持ち良くさせた。  考えなくても分かるその明白な事実に、何故か無性に腹が立った。  しつこいSubの要求を受け入れた清宮の行動は、どうやらD/Sの間で直ぐに噂になったようだった。お陰で昼夜も場所も問わず清宮に絡む輩が増えた。こうなると最早〝首輪〟の存在など関係ない。  勿論その全てを相手する訳は無いのだが、それでも時折、清宮は俺以外のSubの相手をするようになった。  やたらめったら受け入れている訳ではなく、相手を選んでいるみたいだったし、どれもあの日と同じく『Kneel』の一言で終わる簡単なプレイだった。時には面倒臭さを表情全面に押し出しながらすることもあった。だが、相手をしていることに変わりはない。その度に気持ち悪さが込み上げて、躰の中に黒いシミが広がるような感覚を覚えた。  俺は決して、清宮に固執したりしてない。執着なんかしちゃいない。脅され無理矢理パートナーにさせられているだけなんだから、アイツが何をしてようと俺には関係ない。そう思う一方で、首に着けられた漆黒の首輪が酷く重苦しく感じるようになった。 (俺は特別なんじゃねぇのか? この首輪に意味なんてあんのかよ)  今すぐ外して投げ捨ててやりたい。頭の中でそんな事を考えるようになって一週間が過ぎた頃、まるで見計らったように悪魔の囁きが落とされる。 「その首輪、外してあげようか?」  深夜の居酒屋。店員としてテーブルの上で散らかされた食器を片付ける俺に、そいつは女の様な顔で綺麗に笑ってそう言った。

ともだちにシェアしよう!