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Ⅲ:4
「……誰だアンタ」
手に持っていたダスターをテーブルに放り投げ睨みつけると、目の前のオンナ男が心底可笑しそうに笑った。
「やだな、そんな怖い顔しないでよ。俺は篠原ハジメ。〝ハジメちゃん〟って呼んでくれても良いよ」
「はぁ…?」
オンナ男こと篠原ハジメは、訝しむ俺を無視して汚れたままのテーブルへと席についた。
「ほら、君も座りなよ」
笑顔を浮かべて向かいの席へと促す篠原に、俺は隠さず舌打ちをする。
「今からそこ片付けンだよ、どっかいけよ」
「まぁまぁ、そんなの後でいいじゃない?」
「良かねぇわ。俺は忙しい」
「忙しい時間帯はもう過ぎたって聞いたけど」
「誰に」
「店長さん。聞いたら丁寧に教えてくれたよ?」
にっこりと笑い首を傾ける篠原は、俺と同じくらいの身長を抜きにした見た目だけで言えばモロ美少女だ。俺には当たりのキツイ、女好きの店長を思い出して苦虫を噛み潰す。
「店は暇でも俺は忙しい。まだやることが沢山あんだよ」
「それもウソ。このテーブル片付けたら君は上がりだって聞いたもの」
もう〝誰に〟なんて馬鹿な質問はしない。俺は盛大に溜め息を吐くと、篠原の対面に渋々腰を下ろした。
「で、なんだって?」
「だからぁ、その首輪、俺が外してあげようか? って言ってるの」
篠原の手が、スっと俺の方へ伸びてきた。そのまま意外と男らしく節ばった指が、一瞬だけ肌と首輪の間に入る。その刺激に驚き思わず仰け反った。
首輪の鍵がチャリ、っと音を立てて揺れる。
「俺ならそれ、五秒で外せるよ」
目の前で落とされた言葉は、まさに悪魔の囁きだった。甘美な、誘いだった。
着けられた当初とは別の重さを首輪に感じ、それが何故なのかも分からず最近は苛々が募るばかりで、そんな俺をあざ笑うかの様に清宮はいつも通りだ。だが鍵を外そうにも、自分ではどうにもできなかった。
首輪に着けられた鍵は、幾つものリングがまるで知恵の輪のように連なっており、どうやっても俺には外すことができなかった。勿論、外そうと試したのは俺だけじゃない。
清宮はとんでもなく人気なDomだ。頼みもしないのに首輪を外そうと、大学内でも多数の輩が俺の元を訪れた。バイト先だって例外ではない。だがそれでも、鍵を外せる者は現れなかった。それを簡単に外すと口にするコイツは、一体何者なのだろう。
「アンタ、清宮の何なんだ」
「〝その鍵を開けられる仲〟ってやつだよ」
聞いた瞬間、全身が総毛立った。
この首輪は特別だ。数多の人間を相手にしてきた遊び人と名高い清宮が、その誰にも渡したことのなかったパートナーの証なのだから。
受け取るどころかその証を目にする機会さえなかったのは、周りの反応を見れば容易に想像できた。だからこそ、そんな特別な証を与えられた俺は妬まれ恨まれ、待ち伏せされてボコられる、なんて酷い体験をしたのだ。
俺はあのとき確信した。自分はこの首輪のように〝特別〟になったのだと。他の誰とも違う、価値のある存在にのし上がったのだと。周りに転がるゴミとは違う、アイツの特別になった唯一の人間なのだと、そう確信していたけど…。
「もしかして、アンタもこの首輪、着けたことあんのか…?」
「やっと俺に興味持ってくれた?」
篠原は、震えそうになる唇を噛み締めた俺に美麗な笑みを浮かべると、ポケットから取り出した小さな紙を俺の手に握らせた。
「明日の十八時、ここで待ってる」
「明日は」
「バイトは休み、だよね? 彼と約束でもある?」
「………」
「明日来てくれたら、君の知りたいこと何でも教えてあげるよ。俺と彼の関係も、その首輪の鍵の外し方も、全部ね」
待ってるよ。
それだけ言って、篠原は来た時と同じように唐突に俺の前から姿を消した。
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