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第106話 東の思惑3
(東語り)
居酒屋を出て駅まで歩く。
酔った身体に夜風は気持ち良く、隣にいる大野君に少し寄り添って歩いても彼は何も言わない。それどころか更に近寄ってきて、俺の腕に引っ付いてきた。
彼は犬みたいだと常々思っていたが、やはりそのようだ。実家で飼っている柴犬に近い。
「東さんのコートやスーツは趣味がいいですよね。どこで買ってるんですか?」
彼はコートの裾にすりすりと身を寄せた。
酔ってるのだろうか、いつもより口数が多い。
「友人が店をやっていて、見立ててくれるんだよ。大野君も良かったら今度行ってみる?多少は安くしてくれる」
「本当ですか。行ってみたいです。あ、わわわぁっ」
俺の腕に擦り寄る無理な体制で歩いているから、何かに躓いたらしい。よろけた大野君を思わず腕の中に引き入れた。
「すみません……」
「前見て歩かないと怪我するよ。酔ってる時は血が余計に出るらしいから、注意して」
ああ、このしっくりくる感じが久しぶりだ。
早く俺のものになればいいのに、歯がゆくて心の中で地団駄を踏んだ。だが表向きは、腕をすぐ離し再び並んで歩き出す。近くて遠い距離だ。
「………東さんっておいくつですか?」
「32だけど」
「落ちついてますよね。俺もそういうのが欲しいです」
落ちついてる?俺が?大野君の反応にいちいち右往左往している俺がか。
彼の目にはそういう風に見えている自分が滑稽に思えた。
「何で笑ってるんですか」
「いや、何にも。普通の24歳は自分の環境に満足して32歳なんか見向きもしないじゃないか。落ち着きが欲しいなんて変わってるね。大野君にはまだ必要ないと思うよ」
「そうですか。ただ、俺に足りないものは何でも羨ましくなるだけで、貪欲なんです。
もっと落ち着きがあったら、あの人が振り向いてくれたかもしれないとか、時々考えてしまうんですよね。ははは、本当に時々ですけど」
全く『なごみさん』を吹っ切れていないらしい。
それにしても、大野君は恥ずかしがらずに、何でも素直に気持ちを言うものだ。
同性愛について俺に偏見があったらどうするつもりだろうか、聞いてるこっちが恥ずかしくなってくる。
それから、翌週の土曜日に知り合いの店へスーツを選びに行く約束をして別れた。
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