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第160話 大切な人2

(なごみ語り) 僕も諒と同じアイスコーヒーを注文した。平日の昼過ぎはビジネスマンが多く静かだ。 カラン…と目の前の氷が音を立てて溶けて行く。僕は下を向いていた。諒は何を話し出すのだろうか。彼を目の前にすると、折り合いをつけた過去の気持ちが、無理やり出てきて僕を飲み込んでしまいそうになる。 不安で隼人君に側にいて欲しいと願い、心で何度も彼の名前を呼んだ。 だが、来る訳もなく対峙する状況は変わらなかった。 「なごみは……俺のこと恨んでる?」 諒の突然の質問に驚いて顔を上げる。 「恨む?なんで……?」 「突然別れを切り出されて、辛かったと思う。渉にも時々様子は聞いていたけど、俺は自分の為に別れを告げたことを悔やんでいる。でも君のことを忘れたことは無かったよ」 やはり、話の内容は俺たちの別れについてだった。何年も前の辛かったことは、あまり思い出したくない。傷は治っても痕は残る訳で、痕が深いほど思い出すのさえ辛いものが多いのだ。今更それを掘り起こしてどうするつもりなのだろうか。 「僕は誰も恨んでいないよ。再会したことには驚いている。でも、あの頃のことは、いい思い出だったと思ってる。諒が元気そうで良かった」 僕はアイスコーヒーを口に含んだ。喉元を冷えた苦い液体が流れていくのを冷静に感じる。 「そう……俺が別れて何をしていたか聞かないの?」 「知ってる。写真雑誌を見てたから。その為に別れたのも渉くんから聞いた。有名な賞を取ったんだよね。僕の知ってる諒じゃないみたい。遅くなったけど、おめでとう」 そろそろあの写真雑誌を捨てないと、隼人君が見たら誤解をしてしまう。それだけは避けたかった。要らぬ心配はさせたくない。次のゴミの日に出してしまおうかと考えていると、不意に机上で手を握られた。 「ひぇっ、な、何?」 「パネルは家に置いてあるんだね。大切にしてくれてるって君の恋人が教えてくれたよ。大野君だっけ?」 隼人君の名前を出されて、自分の顔が引きつるのが分かった。やはり昨日、会っていて会話も交わしていたんだ。隼人君は何も言っていなかったけど、諒の口ぶりからすると僕のことが話題に上ったらしい。会話の内容も大体想像ができた。 「捨て方が分からないだけ………だから。気にしないで。手……離して」 消え入りそうな声で言っても諒は御構い無しに強く手を握ってきた。 「そう。あの写真さ、今度出す作品集の表紙になるんだ。俺の原点だから。俺は随分長い間自分勝手に生きてきた。大切なものまでも気付かずに、傲慢でいたことを後悔している。嘘じゃないよ。なごみが隣にいてくれたら、もっといい写真が撮れると思う。俺はなごみが欲しいんだ。君さえよければ、このまま連れ去りたい」 手帳から懐かしい写真を諒が出してきた。 それは大学生時代の僕を撮ったもので、屈託の無い幼い笑顔をしている。 諒が好きで好きでしょうがなかった若い自分を懐かしく思った。 だけど……道はもう交差することはない。

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