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第226話 大切をきずくもの9

なお、なごみの生い立ちについては、92話 『揺れる乙女心3』に説明してありますので、気になる方はそちらをお読みくださいませ。 (大野語り) セックスの後、なごみさんが呟くようにお母さんのことを教えてくれた。俺が知ったことはほんの上辺で、なごみさんが抱えている問題は奥深くにあるような、そんな話し方だったが、黙って聞いていた。 なごみさんには秘密が多い。彼はそのつもりは無いらしいが、全てを知りたい俺は焦りばかりが前へ出てしまっていた。 なごみさんが自ら口を開いたことがあまりにも嬉しすぎて、相槌が鼻歌みたいになるのを必死で我慢する。にやけるのも場違いだ。寄り添うように後ろから抱きしめて、噛みしめるよう傾聴した。 俺、ちょっとは頼りにされてるかも。 「それで……なごみさんは、お母さんに会いたいですか?」 下着1枚の広げた足の間で、白いTシャツを羽織ったなごみさんが膝を抱えて座っていた。密着した背筋がまあるくなっているのが分かる。耳の後ろにキスをすると、くすぐったそうに肩をすくめた。 「…………今はもう会いたくない」 沈んだような声が返ってくる。 「10年も音信不通なら向こうも心配しないかな。せめて元気な顔ぐらい見せてあげたら……」 「いい。ピアノが弾けなくなってから、僕は用無しになったんだ。今更会っても話すことはないよ。他人同然だから」 「そうですか…………」 正直言って、なごみさんの気持ちを全て理解することはできない。俺は思春期特有の親との不仲はあったが、今は良好だ。2人とも元気よく働いている。なごみさんの親みたいに有名ではないし、才能もない。和菓子を作ることだけを誇りにしてきた、普通の一般人だ。芸術一家にはそれなりの苦悩があるのだろう。凡人には知る由もない。 だけど、恋人が悩んで苦しんで来たのだ。なごみさんの性格からして、人に相談することはまず無い。1人でずっと抱えていたことに胸が締め付けられた。 彼の心からは深海にあるような底知れぬ冷たさを感じる。光も当たらない、深い場所だ。 俺は堪らなくなり、ぎゅうと力を込めてなごみさんを抱きしめた。 「…………隼人くん……痛いよ……」 「なんとなく謎が解けました。なごみさんが簡単に他人へ心を許さない理由が。もしも、ピアノが弾けていたら、俺とは出会ってなかった。貴方がこうして生まれてきてくれたことも、ピアノを辞めたことも、俺からしてみれば必然なんです。貴方を俺が幸せにしますから」 人と必要以上に距離を保ち、決して本心を露わにはしない。それが彼の世生術なのだ。他人に頼ったり、期待もしない。仕事の仕方もそうだったなと、少し泣きたくなった。 俺はどうしたら彼をもっと奔放にさせてあげられるのだろう。 「そんなにしんみりされると、どう反応していいか分からないから、流してくれればいいよ。過去は変えようと思っても、変わらない。逃げてきた恥ずかしい汚点なんだから……もう忘れて」 「汚点って……どっこも汚れてないですよ。なごみさんは全部キレイです。いい匂いがして、柔らかい」 細い背中に口づけを落とし、それでも物足りない俺は、シャツから覗いているうなじに舌を這わせた。 「……っぁ、はぁ……くすぐったい、からぁ…………ふふふっ…………」 美味しく味わうと、次は首筋、喉仏を舐め回し、こちらを向いた隙に、唇を合わせた。 気持ち良さそうになごみさんが俺に吸い付いてくる。俺はこんなに幸せなのに、なごみさんは暗い影を持っている。なんとかしてあげたいと思った。心から笑わせてあげたい。 俺が好きの気持ちで支えれば、大抵のことはどうにかなると思っていた。なごみさんも、なごみさんのお母さんも、会えば元に戻るのではないかと本気で信じていた。時間は十分過ぎるくらい経ったから、笑って流せるのではなかろうか。母親ってそういうもんだろう。 それは独りよがりの驕りだったのだ。

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