233 / 270
第234話大切をきずくもの17
(大野語り)
夕日に照らされた道路は夕方の行き交う車で溢れている。俺は清香さんと高級感漂う店内で向かい合っていた。ピアノ協奏曲みたいなBGMはとても優雅な気分にさせてくれるが、それどころではない。
これが息子さんをください的な挨拶だったら良かったのに。
「洋一さんとは同じ会社で、親しいお付き合いをさせてもらってます」
まずはなごみさんの近況を軽く述べる。元気で毎日過ごしていることを伝えると、彼女はホッと肩を撫で下ろした。何というか、なごみさんから聞いたお母さん像と違う。華奢で可愛い女性ではないか。
自分勝手で我儘な芸術家ではないのか……?
「洋一……よかっ……た……」
目に涙を貯めて、なごみさんが元気でいることを喜び、か弱そうな肩が震えた。
泣き虫なところは似ている。
「洋一から聞いているかもしれませんが、私は最低の母親です。もう親とも思ってないかもしれない。私はあの子を見捨ててしまったから……ピアノが弾けなくなった洋一に落胆したのは事実です。私ですら狙えなかったコンクールへ出場できるかもしれなかったんです。親の勝手な期待であの子を潰してしまった。当時、あの子が受けたストレスを考えると、謝っても謝りきれない。それくらい酷いことしました」
ピアノがある日突然弾けなくなった、指が動かなくなったんだと、なごみさんから聞いていた。その日を境にお母さんが自分に興味を無くし、まるで空気のような扱いを受けたと。
「洋一さんが大学生になってからは、全く連絡されてないのですか?」
「表向きは全く。学費の援助はしましたから、元気でいるかどうかは、日本に帰ってきた時に見に行ってました。こっそりですけど……」
「えっ……」
「息子を立ち直れないくらい傷つけてしまって、親面することに恐怖を覚えていたんです。ドイツに拠点を移しても理由を作って年に一回は内緒で帰国してました」
「話しかけようとはしなかったんですか……あの、お父さんは……?」
「洋一なりに私とのことに折り合いを付けているんだと思いました。母親の入る余地はもうありません。あの子の父親は、戸籍上では赤の他人です。連絡はつきますが、子供をかわいがるような人ではありません。私との子がいる事実だけは知ってます」
何という愛情下手な親子関係だろうか。
相手からこれ以上傷つけられるのを恐れ、自らの殻に閉じこもっている。
本当は互いのことを気になっているのに、だ。
なごみさんに限っては、多分許しているくせに認めようとしないだろう。あの人は自分のことになると驚くくらい頑固だ。
再会させてあげたい。
だが、失敗したら二度と親子に戻ることもないだろう。死ぬまで他人のまま暮らしていくのだ。そんなことを俺が勝手に判断していいのだろうか。
「洋一さんも、お母さんが帰国されたことを知って、動揺してました」
「今回はマネージメントの都合上、派手な凱旋帰国になってしまいました。明日もスケジュールがいっぱいで、今のうちに洋一の家をこっそり見に行こうかと思ってたんです」
やっぱり。あの変装はかえって目立つ。
清香さんは浮き世離れしたお嬢様なのだろう。料理を全くやろうとしないなごみさんと同じ香りがした。
「その格好では清香さんだと身体中で言っているようなものですから、止めといたほうがいいかと思います」
「えっ?駄目なの?」
「ものすごく目立ちますよ。お母さんは洋一さんに会いたいですか?洋一さんがあなたを恨んでいて、過去のことを罵られても、それだけの覚悟はありますか」
清香さんは息を飲み、長い間考えていた。
そして小さな声で呟く。
重い覚悟を含んだ声だった。
「洋一に会いたい……例え私が嫌われようとも構いません。会って謝りたい。欲を言えば抱きしめたいの。ごめんねって……」
「分かりました」
なごみさんに聞いてみなくては何も始まらない。
携帯電話を持っていない清香さんと連絡の取りようがなかったので、自らの携帯番号となごみさんの番号を書いた紙を手渡した。
用心して掛けてもらうよう頼んだのに、まさかあんなことになるとは想定外だった。
ともだちにシェアしよう!