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事の発端が起きる一週間ほど前の夕食時。
天野と泰子は、無駄に広いテーブルの前に向かい合って食事を取っていた。
「お前も十七になるが、好いている人はいないのか?」
女中が運んできたビフテキを前に、天野は泰子に問いかける。
「いないわ。男になんて興味ないもの」
ビフテキを綺麗に切り分け、平然とした表情で泰子は口に運んでいく。
「そうか……僕に気を使っているのなら、その必要はないからね」
「見当違いも甚 だしいわ。お兄様の事は抜きにしたって、私は結婚なんてしたくないの。だって、私は来年から、師範学校に行こうと考えているのだもの」
きっぱりとした泰子の口調に、天野は思わず苦笑いを零す。
自分に負い目を感じて、色事に遠慮していたのかと今日《こんにち》に至るまで思ってきた。しかしそうではなく、この気の強い妹はいずれは社会に出て自立した女性になるのかもしれない。
今はまだ、女性が社会に出ているというのは珍しいとされているが、当たり前とされる時代がいずれは来るだろう。その時に、泰子が幸せであってくれればそれで良かった。
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