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「分かった……ただ――」  ヒスイが顔を顰め、鋭く言い放った。 「約束は守ってもらう」 「約束?」 「最初に言ったはずだ。記憶を取り戻したら俺に幸せな記憶を渡すと」  そう言えばそうだった。でも、こんな鬱屈とした気持ちの涙を渡したところで意味がない。どうしたものかと悩んでいると、「まさか破る気じゃないよな」とヒスイが低い声で問うてくる。 「そうじゃないのです。今渡そうにも、心持ちが良くないものでして」 「急いでいないだろ。家に戻ろう」  確かに時間ならいくらでもある。それでも家に行くのには抵抗があった。下手な情まで湧いて、心持ちを揺すぶられてしまうのは困る。 「僕は……此処で待ってます。約束は必ず守ります。だから……持ってきてください」  出会った最初の液体を飲まされれば、嫌でも幸福な涙が流れるはずだ。自分にとって幸福なこととはなにかあっただろうか。  楽しくない家族旅行。冷え切った親子関係。乙女のようにいつまでも父を信じて、逝ってしまった母に最期。達久に弄ばれた(からだ)。自分を好いてくれていた友人に、恋心のない泰子を嫁に取らせた。  自分の人生とは何たるものだったのだろうか――

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