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第11話
「最近、元気がねぇな」
パンッと背中を叩かれて、恭平はあいまいな笑みを新山に向けた。
「いや、ちょっと」
「なんだよ。コレか?」
小指を立ててニヤニヤされて、恭平は「はぁ、まあ」と苦笑した。
「ケンカしたんなら、とっとと謝っちまえよ。その年で相手してくれる女を見つけるなんて、簡単じゃないだろう。会社の役員連中なら、別だろうがなぁ」
(女じゃねぇんだけどなぁ)
視線を天井に向けた恭平の肩に、新山の手が置かれる。
「金がありゃあ、女も見つけやすいんだろうけどなぁ」
ぼやいた新山も天井を見た。
(オヤジが社長っつってたな)
役員連中をうらやんでいると勘違いしている新山に、恭平は顔を向けた。
「新山さん。社長と連絡を取るには、どうすればいいんですかね」
「は? なんだ。なんかあるなら警備会社の上の誰かに言えばいいだろう」
「そうじゃなくて、社長に用事があるんですよ」
「なんでまた」
「ええと……まあ、ちょっと……コレ関連で」
説明するのがめんどうなので小指を立てて首をすくめると、ホウッと新山が目をまるくした。
「社長と女を取り合ってんのか」
「ンなわけないでしょ。社長の関係者のことで、ちょっと」
「なんだ。社長の愛人問題に巻き込まれてるとか、そんなんか?」
「いやぁ、まあ」
「ああ、いい。わかった、言わなくていい。そういう問題はしゃべっちゃマズイもんな。いい、聞かなかったことにする。――まあでも、そうだなぁ。社長に連絡を取るっつうなら、受付でアポを取るか、役員の誰かに声をかけるか、駐車場に入ってくところを捕まえるか、だなぁ」
「やっぱ、その中のどれかですよねぇ」
「人には言えない問題だったら、駐車場で声をかけるのが一番だわな。けど、社長はいつもいるわけじゃあないからなぁ」
「スケジュールがわかったら、便利なんですけどねぇ」
脳裏に誠の姿を浮かべつつ、恭平は憂鬱を声に乗せた。
あれから誠の姿は煙のように消えてしまった。長身の誠ならば見つけやすいだろうと通勤中に視線をあちこち向けてみるも、それらしい姿はない。部屋の掃除もあれから止んで、キレイになっていた恭平の家はゴチャゴチャした状態に戻ってしまった。
「車の出入りに目を光らせて、社長の車が見えたら追いかけるしかないな」
「そんときは、お願いします」
「おう。どんな事情か知らないが、まかせとけ。――あ」
「え?」
「それよりもいい方法がある」
「なんですか」
新山が防犯カメラの監視画面を指さした。
「社長が降りてきたのを確認したら、行くんだよ。俺らの勤務時間なら、帰る前に捕まえるほうが楽だろう」
ニヤリとした新山に、恭平はそのとおりだとうなずいた。
* * *
場合によっては誠と自分の関係を話さなければならないので、ほかに誰かがいる場合は遠慮したい。
くわしく説明しなくても、訳ありだと理解している新山はそのあたりを察してくれた。
「監視カメラは俺にまかせとけ。おまえはすぐに駆けつけられるように、表にいろよ」
「すんません」
「なに。中で座っているほうが楽だからな」
笑いながら請け負ってくれた新山が、恭平に「社長が来たぞ」と伝えたのは、それから三日後の勤務について間もなくの時間だった。
新山に手のひらを向けて礼を伝えた恭平は、社長が車に乗り込むまでに追いつかなければと焦った。
「社長ッ!」
ドアに手をかける社長を見つけた恭平は、大声で相手の注意をひきつけた。いぶかる視線が恭平に向けられる。周囲に誰もいないことを走りながら確認し、社長の前に立ち止まって膝に手を置き荒い呼吸を整えた。
(こんなに真剣に走ったのは、どんぐらいぶりだ?)
そして、なんでそんなに必死になって社長を呼び止めたのか。
(誠に会うためだ)
会ってどうするかは決めていない。ただ、あれが別れだと後味が悪すぎる。
「なんだね、君は。なにか問題があるのなら、しかるべき相手を通して報告したまえ」
「通すべき相手ってのが、いない話なんですよ」
「どういうことだ?」
「誠……息子さんのことです」
社長の顔が不快にゆがむ。
(誠が俺をつけまわしてたってことを知ってんのか?)
「なぜ君が息子を知っている」
(あ。こりゃ知らねぇな)
「なぜもなにも……長くここで警備の仕事をしていれば、駐車場の前で会うこともありますよ」
眉根を寄せた社長が「塾に通わせていたのは十年ほども前の話だ」と、不信感もあらわにうなる。
「いや、まあ。それはそうなんですけどね」
「なんだ。息子のことをネタに金の無心でもするつもりか」
「金の無心ができるようなネタが、誠にあるってんですか」
グウッと喉を鳴らした社長の全身に警戒がみなぎる。
「要件はなんだ」
「なにって……その、まあ、アレですよ。大学でなんか人の気持ちの勉強をしているとかで、協力を頼まれたんですがね、連絡が取れなくなったんで気になって」
社長の目が恭平の本心を探ろうと鋭く光った。
(これ以上の説明は無理だよな)
ハッキリと理由を伝えるのはマズい。咳払いをして姿勢を正し、まっすぐに社長の目を見返して誠意を示した。
「連絡先を教えてください」
「そう言われて、簡単に教えるとでも思っているのか」
「社長に聞くほか、どうしようもないんですよ」
「君は息子のなんなんだ」
「それは……友達というか、研究の協力者というか」
「ハッキリせんな。そんな相手に大事な息子の連絡先を伝えるわけはないだろう」
「息子さんと、契約書を交わしたんですよ」
「契約書?」
「研究に協力するという契約書です。それにサインをする条件として、提示した謝礼をまだ受け取っていないんです」
(呑みに付き合えって約束、したもんな)
ウソは言っていない。
「金か」
蔑みの息を吐き出し、社長が財布を開く。
「いくらで請け負ったんだ」
「社長から受け取るわけにはいきません。俺が契約をした相手は息子さんですから」
「誰から受け取ってもおなじだろう」
「違います」
「ガンコだな」
「社長はサインをした契約を無断で反故にされたら、どんな気持ちになりますか? 俺は、そこを重視しているんです」
(このオヤジに内容をしゃべったら、なんとしてでも会うのを阻止されるだろうな。誠のことで、わずらわされるのは面倒だって顔してやがる)
そんな父のもとで育った誠が、たった一度だけ甘やかしてくれた恭平に惹かれるのも、わからなくはない。
(その気持ちをずっと抱えていたって、どんだけさみしい人生を送ってきたんだよ。アイツは)
成長過程でいろいろな人間と出会っていただろうに、それでも自分を追いかけ続けた誠がいじらしい。
恭平の胸奥に血潮のように熱い気持ちが湧き上がる。
「息子さんの……誠の連絡先を教えてください」
「くどい! 君のようなものに大事な息子の情報を伝えるわけがないだろう」
「なんだと」
カッとなって、恭平は社長の襟首をひねりあげた。
「大事な息子なら、なんでさみしい思いをさせたんだ! 接待ゴルフのひとつでも断って、遊んでやりゃあなぐさめられたかもしれねぇってのに」
「ぐっ、な、なにを……」
「断れねぇんなら、連れてってやってもよかっただろう。跡取りだとかなんとか言ってよぉ。……あいつがどんだけ」
ふいに誠の控えめな笑顔が浮かんで、恭平はうなだれた。
「くっ、くっ、手を、手を離せ」
叩きつけるように手を離した恭平に、威嚇と不快を込めて社長が鼻を鳴らす。
「まったく、乱暴な」
「すんませんでした。どうか、誠の連絡先を教えてください」
直角に腰を折って頭を下げると、いまいましいと舌打ちで答えられた。
「息子と契約を交わしたのなら、息子の連絡先を聞いていなかった君の落ち度だろう」
恭平は頭を下げたまま社長をにらみ上げた。社長は警戒の色を浮かべて鼻を鳴らすと、咳ばらいをした。
「まあ、連絡をするよう伝えておいてやる。それ以上は協力できん」
語尾を吐き捨てた社長が車に乗り込み走り去るまで、恭平は頭を上げなかった。
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