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 一か月が経過しても涼也を取り巻く状況はほとんど変わっていなかった。  厳しい残暑のせいでまだ楽屋には扇風機が必要で、息を合わせたように見事にバラバラだったインタビュー回答のおかげで二か月連続掲載されることになった月刊アイドル誌も用意されていて、相変わらず静也はエゴサーチにハマっているらしい。 「今月はユニット全員回答がまともかつまとまってるって結構評判いいのよねー」  なぜかオネエ口調であることにも、静也が話している内容にも、したり顔をしているのにも特には触れず、無言で雑誌に手を伸ばす。  インタビューを受ける前にユニットで話し合いをしたわけでもなく方向性がまとまったまともな回答ができたのは、静也が先月個々にエゴサの話を振って圧をかけたおかげだろう。  案外エゴサーチも役に立つものだと感心したし、静也の手柄だとも思う。ただ、素直に褒めるのも何だか癪でスルーした。それがまずかった。  静也はテーブルに置いていたスライド式のフィーチャーフォンを手に取ると、慣れた手付きでカタカタと文字を入力しだした。 「またエゴサかよ」  あまりにも勢いよくボタンを押しているものだからつい半笑いでツッコミを入れると、静也はそれ以上の、それこそファンに見せるようなアイドルスマイルを涼也に向ける。  何でそんなに嬉しそうなんだと訝しむと、これが答えだとでも言うように印籠よろしく目の前に何かを突き付けられた。携帯だ。 「モチのロンよ」  焦点を合わせて携帯の画面に目を凝らせば予想どおりにモバイル用のサーチサイトが表示されている。――が、検索ワード欄にはあらぬ単語が入力されていた。 「ちょっと貸せ」 「やーだね」  検索ボタンを押される前にやめさせようと携帯の奪取を図るも、そこは幼馴染。動きを読んだ静也はひらりと涼也をかわし、見せつけるように『松山涼也』と書かれたボックスの隣にある検索ボタンを押した。 「おい、俺は興味ねえし違うヤツのを調べろよ」 「えー。今楽屋に居るの涼也だけだし、居ないやつの結果見たってつまんないじゃん」 「自分で自分のことを調べるからエゴイストサーチって言うんだろうが」 「俺が知りたいってエゴでサーチしてるんだからこれも立派なエゴサっしょ。細かいこと言わない言わない」  そもそも、いつも煩くて飽きっぽい静也が一人でこっそり楽しむようなものを二か月間もマイブームに据えている時点で違和感があったのだが、その謎がやっと解けた。  静也は他人の名前を本人の前で自分がサーチし、その結果を見た相手の反応を楽しむことがブームなのだ。  呆れるあまり開いた雑誌に笑顔で写る静也の額の辺りを爪先で弾く。検索結果が表示されるまでのわずかな間だけ静かになった楽屋内に乾いた音が響いた。 「おー!」  いささか頓狂な静也の声に、どんな結果が表示されたかの発表――もとい、表示された結果の中からどんなものをピックアップして読み上げられるのかをできるだけ悪い予想をしながら待つ。  何を言われてもダメージが少ないという涼也の渾身の工夫だったのだが、そこまで知恵を絞らなくてもよかったらしい。  もし批判が多ければ静也はきっと改善を要求してくるだろう。怒る様子がないことからして、良くない意見ではなさそうだ。怒るどころかニヤニヤとした、とても上品とはいえない笑みを浮かべているのが気になるところだが。 「なんかお前と妹尾、ファンには『シンクロメトリー』って呼ばれてるみたいヨ!」 「ハァ? 何だソレ」 「なんかたとえ上手端と下手端が立ち位置であろうとも取ってないアイコンタクトを取ったように息の合ったダンスを踊るシンメってことみたい? 上手いこと言ったもんだ」  シンクロメトリー。  不仲説が流れるほど絡みがないにも関わらず涼也と妹尾が対の立ち位置で息ぴったりに踊ることを揶揄し、対で踊るペアを表す用語の“シンメトリー”を熱心なファンがもじってできた愛称、らしい。  そういえば、ファンレターの中にそんなワードを見かけた気がしなくもない。見たときはシンメトリーと書き誤ったとばかり思っていたが、まさかそんな意図があったとは。 「今度は事務所の仲が良い人を答える質問されたじゃん? あれの二人の回答で確信を持った、みたいなこと書いてある」 「どんなんだよ」 「だから俺の口からは言えないんだってば」  先月同様問いかけるも、ちょうど開いてるんだから読んでよ、と先月同様自分で確認しろと切り捨てられる。今度は早くしろとせがまれる前に手元の誌面に視線を落とした。  ――Q.同じ事務所の仲良しのタレントは?  ――A.(宇品)静也と(島内)出雲。あと仲が良いのとはちょっと違うかもしれないけど松山くん。  見た瞬間、音を立ててテーブルに突っ伏し撃沈する。  ソラでも言える『静也と最近仲が良いのは大』という自分の回答を思い出すと、見なければよかった、が正直な感想だ。 「他のシンメはお互いの名前挙げてるのに一方通行なのシンクロメトリーだけだぞ」 「言うなって……」  ユニット単位で見てシンメトリーの相方の名前を挙げていないのは自分だけ。  おまけに相方である妹尾も『仲が良いのとは違う』という謎の弁解をして、他のメンバーは名前を呼び捨てているのに涼也のことだけを『松山くん』と呼ぶ始末だ。一方通行かどうかも怪しい。  ――あからさますぎるだろ……!  これではビジネスライクやらシンクロメトリーやら言われても仕方がない。ぶつけた額を木製のテーブルに押し付けると、熱を持った部分にひんやりと触れて少しだけ癒された。 「まあまあ。ちゃんといいところも言うから」 「いいところ?」 「お前らの息が合ってると感じた曲とかエピソード。って、なんかすっげいっぱいあんな!」  興奮気味にダイヤルボタンを回してスクロールし裏付けのエピソードを読み進める静也は、なおも「ほおおお!」と感嘆の息を漏らしている。  自分の出演履歴も振り返りながら静也が次々と挙げる曲名は、どれもシンクロした覚えのあるものばかり。あれはファンにとってもシンクロして見えるのかと涼也は妙な気恥ずかしさを感じた。ファンはよく見ている。 「すげーな」  自分のファンに対する考えを言い当てるような静也の言葉にいつものあまのじゃくが発動し、即座に否定する。 「そうか? センスないだろ」  きっとファンからしたらシンクロしているというのは褒め言葉のつもりなのだろう。  実際に他人が踊っているところを傍から見ていても、シンメトリーに限らずダンスが揃っているというのは美しく見えるダンスの条件の一つだ。シンクロしているまでに見えるということは相当そろっていることになる。  ただ、涼也にとってその言葉はあの日の記憶を呼び起こすものの一つでもあった。  踊るときの相方としての妹尾と、そうではないときのただの妹尾。  甘い褒め言葉と、苦い記憶の引き金。喩えていうなら、まるでビターチョコレートのような。 「おーい、涼也さーん。松っちゃーん。松山くーん。だいじょぶー?」  黙り込んだ涼也をどう思ったのか、静也は涼也の顔の前でひらひらと手を振って涼也を引き戻す。 「ああ悪い悪い。大丈夫だから」  はっとして薄く笑うと、静也は不満げに唇を尖らせた。取ってつけたような表情がお気に召さなかったらしい。 「あのね、ファンのセンスとかじゃなくてすげーのはお前ら。『KTV』オンエア録画しといたやつたまに見るけど全っ然気づかなかったし、これでも俺、マジですげーって思ってんのよ?」  『KTV』というのは『King』の冠番組『King‘s TV』の略称である。  涼也の所属する事務所では入ってすぐにデビューできるわけではなく、研修生として先輩のバックについて下積みすることから始まり、その間にふるいにかけられ、残った者たちで形成されたユニットで活動し、受けがよければ期を見てデビュー、という流れが一般的だ。  一見軽薄そうな静也ではあるが、その実自分の仕事に誇りをもって自己研鑽に励む努力家である。  事務所に入ってからというものの、自分が出演した番組は極力リアルタイムで、“たまに”仕事とかぶったりしてリアルタイムが不可能なときには録画をして見ているようだった。  しょうもない理由でブームに据えたエゴサーチも、もともとは世間での自分の評価を気にして始めたことなのだろう。  涼也も自分が出た番組をチェックすることはあるが、静也ほど熱心ではない。感覚的に調子が悪いときだけ研究するレベルだ。 「……ほんと、お前の熱心さには恐れ入るわ」  シンメトリーから論点がすり替わってしまったが、皮肉めいた遠回しの褒め言葉をしっかりと汲んだ静也は尖らせていた唇を満足げに弧の形に歪めた。 「何なに、褒め言葉? もっとたくさんプリーズ!」 「いや、それこそお前自分の名前でエゴサすればいいだろ」 「うっわ、正論! でも間違いない」  結局静也による『松山涼也』というワードでのサーチ結果の発表はその一件に終わった。曰く「こんな感じでマジおもしれぇからお前もやってみ!」とのことであるが、興味は持てずじまいだ。  そんな風に言われなくても――検索結果に教わらなくとも、涼也は知っている。  ファンによってつけられた愛称や評価は知らなくても、オンエアされた出演番組をわざわざ見たわけじゃなくても、妹尾の呼吸するタイミングなら誰よりもわかる。  吐息をはく前に吸い込んだ息を止めるほんのわずかな一瞬。知らないうちに同じタイミングで息をついていたかと思うと、からだを委ねているような委ねられているような、そんな錯覚に陥る。  ステップを踏み出す一歩が拳を突き出すために伸ばす手が無意識に動いている、シンクロしている。シンメトリーの位置に立って初めてわかる不思議な感覚だった。  外からもシンクロしているように見えるその内で起こっていることは、自分だけが知っていればいい。誰にも暴かれたくはない。サーチ結果に出てくるほど自分の心が明け透けでは困るのだ。 「っていうか妹尾は? リハ結構押してるけど何だかんだ次の次俺らの番じゃね?」 「知らね」 「うわー出た! さすがシンクロメトリー!」  即答すると、シンクロメトリーという造語を本人以上に気に入った静也はわざとらしく会話に織り交ぜてきた。涼也はげんなりして開いていた雑誌を閉じる。 「さっきからそればっかりうっせえよ……」 「それにしたって涼也は妹尾のこと知らなすぎだろ! もうちょっと興味持てよシンクロメトリーなら」  踊っている間じゃないから妹尾の考えがわからないというのもあるが、そもそも妙な渾名がつけられたのは、不仲説が流れるほどの関係性“なのに”息が合っているという前提があるからだ。  不仲説はあの日涼也が妹尾と距離を置くことを決めて以来、まことしやかに流れだした噂だった。  仲が悪いわけじゃない。あいさつにちょっと毛が生えた程度の会話しかしてなかった、の毛をあいさつごと完全に引き抜いただけだ。  噂を耳にするたび内心で否定していた涼也だが、元から付き合いが薄いのに不仲とまで言われることがおかしくて、途中からは内心での否定もしなくなった。  変に否定してせっかく置いた距離が簡単に詰まってしまうのが怖かった。  仲が良いのとは違うと雑誌で答えていた妹尾がどういう意図でそう回答したのかは知らない。わからないままでいい。  仲が良いのとは違うと本人の言うまま、あわよくば妹尾からも距離が置かれて、このままじわじわと距離が開いていけば――。 「興味あろうがなかろうが、ちゃんとアイドルしてるんだからそれでいいだろ」  これ以上は干渉するなと言わんばかりに閉じた雑誌をテーブルの端に押しやる。同時に、ちくちくとした些細な胸の痛みもいっしょに取り払えた気がした。  それでも、むしろ、だからこそ静也は腑に落ちない様子だ。先ほどまでのへらへらとした雰囲気はどこへやら、急に真剣な表情になってじっと涼也の目を見る。 「冗談じゃなくてマジでさ。今は不思議と息合ってるかもしんねーけど、これからは合わせようと思って合わせてかなきゃアイドルしてるときですら息すら合わなくなるぞ」  思えば昔から、いつもふざけてばかり居るくせに大事なときには相手のことを見透かして、妙に大人びたことを言うやつだった。  静也とは長くいっしょにいる分喧嘩をしたことも数多くあったけれど、理不尽にキレられたりしたことは一度もない。 「……わかってるよ」  それ以上は何も言わずにパイプ椅子から腰を上げ、楽屋のドアの前に立つ。言われたとおりに動いていると思われるのが恥ずかしかった。  しかしそこはやっぱり幼馴染。静也は空気を換えるようにニシシと声に出して笑い、わざと涼也をからかうような言葉を発した。 「お! 涼也くん素直ー」 「別に、便所行くだけだし」 「そうなの? つーか、涼也って昔から都合悪くなるとトイレ行くよな」 「……」 「んまっ、リハ室直接来てくれて大丈夫だから」  振り返るようなことはしなかったけれど、背後の静也がニヤニヤしているのが気配で伝わる。  真面目な話をしたあとにおどけてみせるのは、お互いに変なしこりが残らないようにするための静也なりのテクニックであり気遣いだ。実際にダンスにおけるシンメトリーを組んでいるのは妹尾だとしても、ユニット内で断トツに仲が良いのはやはり幼馴染の静也だろう。  お互いの考えることは大体わかっているし、自宅が近いのもあってほぼ行動をともにしている。謂わば日常生活におけるシンメトリーだ。  ――悔しいけどアイツには敵わないよなあ……。  楽屋の外に出て完全にドアが閉まったのを確認してから涼也はため息をついた。

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