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「…せいぜい許しを請えよマリア」 その名を、呼ぶな。ブラックウェルが相手のジャケットに爪を立てた。しゃぶり付いてグラントが、興奮するままに指先を這わせる。 もう一人の男が無理矢理ジャケットを脱がしにかかった。絞め付ける腕が強まる。痙攣した肩が震える。最後の抵抗とばかりに、手が相手のナイフに伸びた。 「何してる」 突如暗闇から姿を現した将校が、その場の空気を凍り付かせた。 「ア、アッカーソン少佐…」 ブラックウェルの両眼が見開かれる。外套の裾を翻して近づいてくる長身に、2人の男はあからさまにうろたえて手を離した。 途端、急に気道の開けたブラックウェルが咳き込んで崩れ落ちた。アッカーソンの碧眼がその姿を捉え、次いで呆然と立ち竦むグラントを映して細まった。 「所属と名前を言え」 「…だ、大隊付中隊第2小隊長、ジョージ・グラントです、sir」 「同じく第2小隊所属…ヴィクター・トイです」 「喜べグラント、トイ。今日付けで准尉に降格だ。二度と俺の前にツラを見せるな。話は以上。さっさと消えろ」 淡々と言い放つアッカーソンに、二人はすっかり怯えきり何を言うでもなく慌てて彼の目前から逃走した。 その後ろ姿を虫けらを見る様な目つきで見送っていたが、背後で部下が再び咳き込むのを耳にして、アッカーソンは踵を返し側へと駆け寄った。 「マリア、おいマリア…しっかりしろ」 俯いて喉を押さえていたブラックウェルが、呆然としてアッカーソンを見上げる。彼が何時も部下に向ける、慈愛に満ちた眼差しで此方を覗き込んでいた。 しまった、とブラックウェルは予期せぬ上官の登場に青褪めた。 情けない所を見られた。 心酔と言っても良い、己の絶対の信頼を捧げる唯一の存在、エルバート・アッカーソンに。 「…どうした、救護室行くか?」 ブラックウェルの心情を知ってか知らずか、アッカーソンは尚も部下の調子を気遣って肩に手をやった。その僅かな接触ですら、ブラックウェルの意識を持っていこうとする。 「No, sir…御手数をお掛けしました」 努めて冷静に返事をして、立ち上がった。外されたジャケットの留め具を直し、そう言えば何故この様な場所にアッカーソンが居るのか引っ掛かる。 そうしてブラックウェルは、上官が未だ跪いたまま一点を見ている事に気が付いた。ざっと音を立てて全身の血の気が引いた。 「その靴は?何があった」 ブーツの踵が、暗闇で分かり難くもぎらぎらと光っていた。紛れも無く、中隊指揮所で殺害したアンドリュー・スコットの血痕だった。 「…物分かりの悪い二等兵を折檻していたので」 「お前は部下に手を上げない」 真摯に迷いなく見詰める上官の瞳の中、退路を断たれたブラックウェルが囚われる。肩を掴まれ、常とは異なって明らかに狼狽したブラックウェルは思わず顔を逸らした。 訝しげな表情に変わった上官から逃げる様に身を捩り、数歩距離を空けると、そのまま背を向けて歩き出した。当然呼び止めるアッカーソンに、一言「報告書を纏めてきます」と言い残して去って行く。 今際の際に掴まれた足首が痛んだ。腹に38口径を埋め込んでやったというのに。低俗極まりない糞将校め。 背後でアッカーソンが此方を見据えているのを感じながら、ブラックウェルは自分の宿へと歩調を速めた。

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