34 / 105
2-14
適当に目を通した書類を机上に置き、長い指先が不意に此方に伸びてブラックウェルの右手を攫った。突然の行動に、驚いて小さな肩が跳ねる。
アッカーソンは上着を探って消毒薬と包帯を取り出し、淡く血の滲んだ包帯を外した。晒された生々しい傷跡に一瞬顔を曇らせ、黙って丁寧に消毒を施し始めた。
ブラックウェルは何か言おうとして、結局口を閉ざした。そうしてただされるが儘に、身を竦めて固まっていた。
アッカーソンが触れ、その部分が体温を知覚する度、鼓動が殊更に喧しく暴れ始め聴覚を奪う。
間違いなく西日が差し込む中、一帯のテラス席は時間を止めていた。
消毒が終わるや上官の手は、傷跡に丁寧に包帯を巻き付けた。応急処置など遥か昔に習ったきりの筈が、アッカーソンの手付きは紛うこと無く完璧だった。
その指先は、何時だってすべてを可能にする。
ブラックウェルにとって、神にも等しい手だった。
「そう言えばマリア、もう直アイツの誕生日だろう」
アッカーソンの声が、再びブラックウェルの意識を浮上させた。
アイツが誰を指すのか暫し悩み、然れど上官がそう呼ぶ相手が限られているのを思い出して顔を上げた。
「…忘れていました」
「お前が?珍しいな、去年は1ヶ月前から悩んでた癖に」
上官に言われて去年の記憶を引っ張り出す。
確かに周囲がやれチキンだ酒だと騒ぐ中、ブラックウェルは只管マクレガーへ贈る物を思案していた。
奇しくもキリストと同日に生まれた彼は、裕福な家庭に育ち欲しがれば何でも貰えたらしかった。対して自分が渡せる物など限られている。
結局悩み抜いた末贈ったのは、彼が愛して止まなかったピアニストのライブチケットだった。
マクレガーは大いに喜んだ。多分、ブラックウェルが何を選んだとしても喜んでくれたに違いなかったが。
「良いよお前は何をやっても。俺なんか覚えてるか、アイツに時計をやった時…酷いツラで何を言うかと思えば」
「…ああ、確か“気持ち悪い”と一言」
「即日で質屋に持ってく勢いだったな」
「まさか、未だ大事に持ち歩いてましたよ」
ブラックウェルは当時の光景を脳裏に描いて相好を崩す。ふとその場に、以前の2人と変わらぬ空気が流れた。
手当を終え、頬杖を付いてそれを見ていたアッカーソンが口端を上げ、してやったりと言った顔で指摘した。
「やっと笑ったな」
きょとんとした後、微笑を湛える上官に気付いてブラックウェルの頬が僅かに紅潮する。
「俺が大隊に行って、すっかり見放されたんじゃないかと思ったよ」
「…っそんな事、…」
「違うなら、未だ俺と居て欲しいんだが」
恐る恐る見返すと、アッカーソンが余りにも穏やかな面持ちで此方を眺めていた。言葉の意味が分からずにブラックウェルが動きを止める。
ともだちにシェアしよう!