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殆ど無意識に、アッカーソンは指先でその鬱血を辿っていた。皮膚の感触を、脈打つ生を、明らかに他人が触れた其処を、確かめる様に。何度も。 どうして良いか分からないブラックウェルが、身を竦めて只管に地面を見詰め、暴れ始めた鼓動を制御しようと必死になった。 世界が、2人を残して消し飛んだ様に沈黙した。ふと、盗み見る様にブラックウェルは上目で上官を覗いた。 翡翠の瞳が一点を凝視している。 見たこともない怜悧な色をして、罪を目の当たりにした主の如く、沸き起こる静かな怒りに、歪んで。 「キース、お前が駄目ならアレを紹介する他無いんだが」 モーズレイが酷く悄然として此方を見ていた。 階下で煙草を吹かしていたマクレガーは、一寸視線を外して首を振った。 「お勧めし兼ねますね、アレはただの人格破綻者です」 確かに目に余る傍若無人っぷりだが、流石に其処まで酷評される人間だろうか。納得し難い様子のモーズレイに、マクレガーは煙草を消火して話を続ける。 「気に入ったものを放し飼いにする。餌は与えない。極たまに頭を撫でてやる程度。首輪を付けないのは、絶対に自分の下に帰ってくる自負があるから。最もタチが悪いのは、もし仮に他所の人間の匂いでもさせて帰って来ようものなら…」 切れ長の目がモーズレイを射抜く。 書棚に背を付け、上官は思わずごくりと喉を鳴らした。 「お終いだ。可哀想な犬が暴れれば、四肢だろうが躊躇なく切断する。近付き過ぎるべきじゃ無い、誰も彼も」 昔、アッカーソンが駒鳥を殺した。 寮で秘密裏に負傷した雛を匿っていたが、同室のマクレガーがある日目にしたそれは、羽が切れて息絶えていた。 理由を問い詰めるや、友人は至極平然と言った。 “逃げようとするからだろ” マクレガーはその件でやっと、相手の螺子が数本吹き飛んでいる事に気付いたのだった。 秒針が数周して尚、ブラックウェルは身動きが取れず項垂れていた。上官の視線が、一寸も逸らさず此方を貫いているのを感じる。 突然、背を預けていた柱に衝撃が走った。 視界の端に上官の腕を認める間もなく、上着の襟首を勢い良く片手で引っ手繰られた。 「…マリア…お前、何をしていた?」 声すら出なかった。 声帯をその視線で雁字搦めにされた様だった。凍てついた絶対零度の瞳が圧倒的な力でブラックウェルを縛り付け、情け容赦無く征服していた。 「もう一度聞いてやるが」 これは果たして誰の声なのか。 目を見開き、背中に汗を伝わせながら、ブラックウェルは巨大な渦の真っ只中に突き落とされた。 「お前は除隊後、何処に行く気なんだ?」 実家に――。 そう答えた瞬間、視線だけで殺されるんじゃないかと思えた。一体何が正解なのか、必死に適切な言葉を働かない頭で探し求めて這いずり回る。 確実に、己の知らない存在だった。 どういう訳か、今目の前の上官に生命の危機さえ感じていた。 襟を掴み上げていた手が、ブラックウェルの顎を捉える。 何時だって自分を救い上げた、愛して止まない神の手。 無理矢理目線を等しくされた先に、ぞっとする程感情の読み取れない翡翠の双眼があった。 追い詰められて、兎に角何か言葉を紡ごうと喉を引き攣らせた。然れど、すんなりとその手は離されて、残されたのは喧しく暴れ回る鼓動のみだった。 「付いて来いマリア。お前の道は、それだけだ」 そんな事、言われなくとも。 己の胸の内を、ゆくべき進路をはっきりと断言してくれた。それなのに青褪め、唇の震えが止まらなかった。 踵を返して歩み出す姿に息を詰め、呆然として後を追う。胸部を握り締めながら、ふと思い出した様に瓦礫の積まれた光景を見渡した。 世界が何時の間にか、一色に塗りたくられていた。

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