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「…おいボイドラー、あの馬鹿は一体何処で油を売ってやがるんだ?もう1時間は経つぞ」 隣で顎に手をやり、ボイドラ―が言い辛そうに口を開く。 「いやあ、私も分かりませんが…奴はどうも、オックスフォード中佐のお気に入りらしくて…」 「茶でもしばいてるってのか?呆れた野郎だ全く、帰ってきたら清掃の監督は全部アイツにやらせてやる」 吐き捨てる中隊長に全面的に同意して、ボイドラ―は代わりに次の笛を吹いた。 あんな不遜な男に出世の枠を取られてたまるか。顔からははっきりと、そんなぼやきが見て取れた。 「それにしてもボイドラ―、あのチビの事は知っているか?」 「はい?」 上官の質問に我に返り、ボイドラ―は視線の先を追い掛けた。軽やかに駆け、華麗に障害を飛び越える姿が目に入る。 知っているも何も、上から下まで挙って話題にしたがるアイドルじゃないかと呆れてメドウズを見る。 「ブラックウェルが何か?」 「筋力測定以外は凡そ首位を維持してる。精神力も申し分ない。奴はいずれ必ず上に立つぞ、俺が保証する」 指揮官はやけに嬉しそうに言った。 そんなにマトモな目で彼を見る男は久方振りで、ボイドラ―は意表を突かれた様に一瞬鼻白んだ。そうして、改めて件の二等兵に視線を移すと、彼は運動着の袖で伝い落ちる汗を拭いていた。 偶然にも、その大きな瞳が此方を向いて目が合った。 逆光で色の変わった虹彩に囚われ、意図せずボイドラ―はごくりと喉を鳴らしていた。 まるで興味の無かった自分ですらこのザマだ。どうやってこの先、彼は生き抜いていく気なのだろう。 ふいと早々に視線を逸らし去っていった姿を、結局その時間中、見逃す事が出来ずただ無意識に追い続けていた。 「なあ、お前が小遣いでしゃぶってくれるって話、アレ本当か?」 成人してるのか疑わしい男が、嬉々として自身のトラウザーのベルトを外しながら躙り寄った。 「俺の隊じゃ、煙草一箱でハメて構わないって噂だったぜ」 巨躯の取り巻きが、息を荒げながら退路を塞ぎにかかっている。 壁に背を投げ出して、ブラックウェルはこんな場所で本を読んでいた自分の浅はかさを嘆いた。流石に志願した当初、軍隊が此処まで頭の悪い場所だとは思わなかった。 「そもそも本当に股に付いてんのか見せてみろよ。お前が虚偽入隊してんなら、俺らにだって報告義務があるからな」 流石に煩わしくなり、ブラックウェルは顔を上げた。 B中隊の一際オツムの残念そうな集団が、舐める様に壁際に追い詰めた体躯を眺めていた。

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