63 / 105
3-16
ブラックウェルは思わず素っ頓狂な声を上げそうになった。
ところが副隊長を拘束したままの上司が、此方を見て「良いから頷け」と言わんばかりに睨んでいる。
(ああ…そういう)
「おい、マリア!どうなんだ」
「いやまあ、そうですね…仰る通り」
理解した部下が同意するや、レネハンがこの世の終わりの様な形相になった。よりにもよって…等と聞き取れないがぶつぶつと慨嘆をぼやいている。
「分かったら今後個人的な呼び出しは控えて頂けますか」
「くっ…いや待て、良いのかマリア?コイツは中隊長によれば平気で5股でも6股でも掛ける糞…ぅぐ」
「根拠の無い話も控えて頂けますか」
アッカーソンがやけに力を込めて襟を締め上げたが、レネハンは未だ負けを認めようとはしなかった。
「この場でもう一度良く考えろ…!俺か、アッカーソンか…お前はどっちが良いんだ!」
何だこの状況。ブラックウェルの顔が青褪める。
見ると上司も笑いそうになっていた。止めろ。つられる。
「…じゃあ、少尉で」
「じゃあ…?じゃあって何だ、お前本当に良く考えたのか?」
憤るレネハンから、アッカーソンが漸く手を離した。かと思えば此方に歩いて来て、利き手を差し伸べる。
「マリア、おいで」
この上司の言葉には、いつ何時も逆らえない不思議な迫力がある。無心にブラックウェルが歩み寄るや肩に手が回り、引き寄せられて平衡が崩れた。
何か言う間も無く、抱き締められていた。
微かにオードトワレが香った。隣を歩いている時は気が付かなかったが、やけに落ち着く清香だった。
本当に、何の他意も無く、演技と分かっていながらどきりとした。
アッカーソンの長い指先が、余所に逸れた部下の顎を掬った。後頭部を、優しく引き寄せられる。
背後でレネハンが絶句してよろめいた。
何やら上司に、実に自然なキスをされていた。
「…き…き、貴様…ッ」
レネハンの肩が怒りに戦慄く。
ブラックウェルは呆然とアッカーソンを見上げたまま、頭の中は真っ白になっていた。
落ち着け、これは演技の一環だ。
湧き上がる焦燥感に苛まれて言い聞かせたものの、駄目だった。相手の目を見ていられなくなって項垂れ、部下は露骨に頬を紅潮させた。
その姿を目の当たりにしたレネハンが、雷に打たれた様に悲痛な顔で固まった。哀しい事に、己と2人の時には可愛げの欠片も無い暴言しか寄越さない、あのブラックウェルが。
何かと気に食わない男の腕の中で、下を向いて淑女の如く大人しくしているではないか。
「レネハン中尉、未だ何か?」
煩わしそうな目で此方を射抜くアッカーソンに、負け犬と化したレネハンは何ら言葉を返せなかった。背を向けてしまった男に見切りを付け、アッカーソンは行くぞと部下の腕を引く。
我に返ったブラックウェルが、慌ててその姿を追って一室を後にした。
ともだちにシェアしよう!