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車体は直ぐに発進した。モーズレイの乗った前方のジープを追走し、先の見えないトラックの列を横目に基地を後にする。 自身の足元を睨み付け、ブラックウェルは懸命に暴れ始めた動悸を落ち着かせていた。 別に考えなかった訳じゃない。上と付き合いの多い彼に、縁組の話が持ち上がるのは至極当然の事だ。 そもそも結婚を考えるのが真っ当な時期だった。 家庭を作って子供を授かって、身を落ち着けるべき年齢だ。それが師団長の娘とあらば、彼の戦後の人生も凡そ保障された様なものだった。 喜ばしい話だ。素直にそう祝えれば良かった。 然れどブラックウェルの心は、先日上司に渡されたとある鍵にただ苛まれていた。 見覚えのあるロゴが刻まれた、やけに重厚感のある厳つい造形の鍵。何か問う前に、それが車の物だと告げられた。 本土に残してきた唯一無二の愛車の鍵を、上司は戸惑うほど簡単に此方へと放ったのだ。 (それは、俺に、一体) 今その感触を思い出して、思わず逃げ出したくなった。 彼が手渡した鍵は、紛う事無くブラックウェルに戦後の追従を強制していた。 (一体、どんな顔で) 膝に置いた爪先が、皮膚に食い込んだ。 流れ去る景色が、やがて枯れた雑木林に包まれ始めた。 一頻り現状に打ちのめされた後、すっと急速に頭が冷えていくのを感じた。ブラックウェルの脳裏には、先日雨の中で交わしたダンとのやり取りが思い起こされていた。 何を勝手な事を。 顔を上げた眼前に、未だ柔らかな雪がはらはらと降り注いだ。隣では脚を組んだ上司が、反対側の景色に意識を奪われてじっと眺めていた。 それでも良いから側に居たいと言ったのは、誰だ。 ブラックウェルは鬱血しかけた膝から手を離し、頬を濡らす雪を拭った。 走れども走れども単調な視界の中、両者はそれでも一言も交わす事無く、豪雪に覆われる森林を視界に映していた。 眼前に漸くカタラの街並みが現れた頃、空はすっかり濃度を増して外気は更に冷えていた。 その後506連隊は更に東へと進軍し、街から1キロ程離れたバスティアの森へと突入した。そうして前線に辿り着くや、そこからはスコップを片手に過酷な塹壕掘りが始まった。 大隊本部に姿を見せたオックスフォードは大層ご機嫌斜めだった。 彼は大股でやって来ては大隊長の傍らに陣取り、鼻の穴を膨らませ気が治まるまで司令部の悪態をついた。 アッカーソンは実に面倒臭そうな顔をしていたが、確かに上官の言わんとする事も分からなくは無かった。 「信じられるか?俺の部隊が死人だけを量産して手を拱いてるんだぞ、司令部の糞共にはさっさと突っ込めと進言してやったが…あのケツに鉛を付けたチキン集団め、此処に来てこの惨状を見て物を言え!」 何にせよ遅れて姿を見せたマクレガー共々、その日の仕事はオックスフォードの子守りから手をつけねばならなかった。 漸く上官が粗方の話を終え引き上げるや、陽はとっくに行方を眩ませていた。 残された3人は押し寄せた疲労に息を吐き、やっとこさ己の職務に戻るべく腰を上げたのだった。

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